学生時はどの学校でもいじめられてて、孤立してた。でも、音楽だけは私を応援してくれた。
いじめられても1人で生きてやると思って「きみは間違ってなんかない」みたいな負けてやるもんかって曲をひたすら聴いてた。
やっぱりそんなのは全部全部無駄だった。
ただ曲でケツを叩かれて気合いがでて、踏ん張れていると勘違いしていただけだった。
将来のために強く固められていくはずだった土台は、全然出来上がらなかった。少し強く踏ん張ると崩れるものになってしまった。
ボロボロだから、小さいことで傷ついて、落ちるところまで落ちていく。
学生から社会人になって、耐えることができずに落ちて落ちて、ある時、ある瞬間
初めて、自殺したい人の気持ちがわかった。
生まれてくることに、生きることに意味はないんだと気づいてしまった。
またあの時の音楽を聴いた。
ケツを叩いてくれたら逆に死にたいなんて吹っ飛ぶかなって。
でも、さらにショックを受けた。
だから、なんで生きるためにそんなに頑張るの?死ねば頑張らなくて済むのにって、今まで考えもしなかったことを考えてしまった。
健常者とか生きるの楽しい人にしかこの曲を聴く権利はない。
しばらく本当の孤独になった。
相談が下手な私は誰にも胸の内を話せない。
自分を肯定してくれる音楽もない。
また生きづらい。
そんな時、声が好みってだけで聞いていたアーティストの口から
「人間はどうせ死ぬ」「あの空の向こう側は僕たちを守ってくれるかな」
と、聴こえてきた。
死にたい、消えたい私のような人を肯定して寄り添ってくれる音楽はあるんだと知った。
死に近づくならちょっと無理したっていいや、死ぬならサボったっていいやって、ムカつくお前もいつか死ぬからなって、思えて生きることが楽になっていった。
人と話しててもそうだけど
考えすぎだよ、元気出せよは、ケツを叩いてお前もっと頑張れよって言ってんのと一緒
それは私にとっては逆効果で
うんうん、そうだね、、、辛かったね、、、
って肯定する言葉だけほしかった
ほんとは死にたきゃないよ
当たり前のことだけど、死にたい気持ちとの戦い方は死にたいって思ったことあるやつにしか分からん
死ぬまでの暇つぶしってレベル高すぎだけど、なんか好きなものとか見つけて誰にも見つからない場所でコソコソ楽しんでれば、終わるかな