たまにタヒって使ってるのをみると、ふざけてるとか本気でないような微妙な気持ちになる。
『もう死にたいです』
『もうタヒにたいです』
この2つは全く同じ印象だろうか?
YouTubeで『死』という文字を4だの○だのタヒだのに置き換えてるのって、他人への配慮とかじゃないんだよ。
死とか殺とか言う文字を安直に自殺とか殺害予告とか死ねっていう暴言とかと過剰にシステムが検知して動画を削除した時があったから、それを避けるために動画投稿者が別の字に置き換えてるだけ。
動画を消されないための措置
必死に頑張るとか九死に一生を得るとかそういう普通に使う表現ですら誤解する馬鹿なシステムに誤解させないための表現。
家族や友達とか先生とかに
『つらくて死にたい、自殺したい』
ってなんて相談したとして
『タヒにたいくらいつらいのに良く話してくれたね、君が自タヒしてしまうまえにこうして相談に来てくれて良かった』
なんて言われたら馬鹿にされてる感じしない?
逆に『つらくてタヒにたい、自タヒしたい』
って感じだとふざけてるというか死という言葉を言い換えるくらいには余裕があるように思えてしまう。
死にたいって気持ちは他の文字に置き換えられるような感情じゃないんだよ、少なくとも俺にとっては。