ここ最近の話
いつからかおれは葬祭をするようになった
あ、人とかじゃなくてだよ?
自分の負の感情の葬祭さ。偲ぶのよ。
一見馬鹿らしく見えたり
脳内お花畑に見えるでしょ?
でも、こういうのってほんと大事で。
とくに感情に振り回されやすいおれにとっては無くてはならなくなった儀式なんだ。
子供のころのおれにはこんな思考が生まれなかった。悔しさが募る一方だよ。
悲しかった感情
苦しい感情
裏切られた気持ち
許せない気持ち
孤独になった気持ち
希死念慮、人への負の感情
まず、これらをすぐに開示しない。
人間関係は、感情的になったら負け
どれだけ感情的でも、それを他人にぶつけたりしたらもう成り立たない。だからといって自分の中でも、感情任せにはならない。
それが本当に正解かわからないじゃん。
その場の感情だけかもしれない。
まずは、冷静になるの。
だからおれは”葬祭”を始めるんだ
実際に人が亡くなった時の葬儀は、葬祭→告別式で終わるけど、おれの葬祭はすんごく長い。だって実際に死んでるわけじゃないから。放置したら膨れ上がる一方な感情を
整理して鎮静することだから。
自分の感情を自分自身でちゃんと受け止める。なんでそんな感情になったのか
本当にその感情がうまれたのかちゃんと分析するんだ。そして、第三者目線で再度自分の感情を見つめてみたりする
それでも煮詰まらなかったら
自分が受け止めて、その負の感情を浄化していくように日々過ごしていく。
これが葬祭。自分に感情があるように
他人にも感情がある。負に執着して
負に飲まれてしまったら、元の状態に戻ってくるのは難しいから。負に飲まれて、あーもうどうでもいいやって無気力なまま時間だけ過ぎていくほうがよっぽど不幸で孤独だ。
自分が自分であるために
それと同時に、人に本当の意味で優しくあるために。弱さはマイナスじゃない。自分の弱さを少しも理解してないことがマイナスだとおれは思ってる。良いも悪いも、自分をちょっとでも認めなきゃ。
自己嫌悪でも、できること。
まずは、冷静になって深呼吸
みんなやってみて、葬祭
ちょっと楽になるかもしれない
おれはやり始めてから楽になったよ。
花畑でいい。てか
人生多少頭からネジ外れてないと
幸せにならない。