大学教授の立場で後輩の前でさらし者にして卑しめる発言をするのは、モラルハラスメントないしは、パワーハラスメントじゃないのか。
仕事ができなければ、人間性まで人前で否定してもいいんですか。
俺みたいな人間には人権だってないってことですか。
自己肯定感を持ちたいと願ってももう俺のメディア力じゃ、何をやってもマイナスの状態だ。
何を言っても信頼してもらえない。何をやっても信頼されない。
正しいことを言っても曲解される。
仕事ができる人間であれば、論理的に変でもしっかり受け止めてもらえる。
仕事ができない人間だと、論理的にしっかりしていても、話しはじめから疑ってかかられ、まともに向き合ってもらえない。
仕事ができれば、生きやすい。
仕事ができなければ、あらゆる面で生きにくい。
自分の意見言っても、信用されず馬鹿にされる。
俺が会議にいる意味ないじゃん。なぜ会議に参加させるんだ。
なぜみんな無表情なんだ。
恐い。
子どものために活動しているんじゃないのか。
活動中、無理して作る笑顔もちらほらあるし。
声が笑っているのに顔が無表情とかみると本当に怖いって思う。
何なんだろう。この違和感は。こう感じているのは俺だけなんだろうか。
枠組みを創造し、維持できれば、感情なんていらないのか。
言っていることと、表情が一致していないように感じる。
恐い。
こんな中で働くのは本当に嫌だ。
でも、すごく意義のあることをしているのは、テレビや新聞に載せていただくので実感している。
勉強していくうちに本当に社会から必要とされていることなんだとひしひしと実感させられる。
でも、何なんだろうこの違和感は。
この輪の中にいるだけで、ストレスがたまる。
何か偽善の塊にいるみたいだ。
(俺が幼すぎるということかもしれない。。)
(社会にとって必要なことは、支援者がどんな心境であっても滞りなく提供されるべきものなのだから、支援者のモチベーションは関係なく事業を継続して運営していかなければならない)
(心境によって成果が左右されるだなんて、そんなのはプロ意識が足りな過ぎる)
(もう困難を抱えている子どもたちに出会ってしまったのだから、逃げることなく価値の高い状態で支援を提供し続けなければならない)
(支援者の動機なんて関係ない。大事なのは被支援者が継続して支援を受けられることだ)
頭では分かっているんだけど、どうしても違和感がぬぐいきれない。
やっぱり苦しい。
信用されずに軽蔑されるような組織の会議に出るだけで精神的につらい。
組織がうまく回るために、悪が必要だというけど、このまま組織の悪として居続けたほうがいいのだろうか。でも俺は辛い。
本当に苦しい。。
名前のない小瓶
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お返事が届いています
ななしさん
それなら規模は小さくても真剣に活動しているグループに移ってその中で貴方が今まで学んできたノウハウを活かす方が良いのでは?
ななしさん
親しい間柄の大人の男性達が、機知に富んだブラックジョークを軽く放ち合いながら、お洒落に会話をしている場面であるなら、観ていて小気味が良いものですが、小瓶主の仰るその場の状況は、余りにも野蛮で、思わず教授のお育ちを疑ってしまいます。
歳を重ねたなら、それ相応の分別を。
肩書きを手にしたのなら、名に恥じない振る舞いをするもの。
肩書きが付く年齢までに、洗練される事なく、捨て置かれたいびつな芋程、哀れなものはございません。
教授が、正当な事由の有無に関わらず、言葉と場を選ぶ配慮がもてない屈折した心根であるのは、幼少時に何かあった影響が顕著に出てしまっただけなのかもしれません。
小瓶主が、給料に見合った仕事をしていると自負できるよう、常に改善し向き合う努力を怠らなければ、いつか、教授の陰湿な性質を笑ってあやせる立場になるかもしれません。
ななしさん
その教授が言っている事が正しい事なのかどうかってのが手紙読んでてもわかんないんだけど、悪役というよりは生贄の話だよね。生贄と生贄役は違うよなってのは分かる。所謂ブラックと呼ばれる職場はそこがわかってない。
ななしさん
【小瓶主さんからお返事きたよ】
小瓶を拾ってくださった方々へ
ありがとうございます!
いまだに教授は本当にデリカシーがないですし、ひどいことをしてきます。
しかし、そんな教授にも尊敬できるところがありました。
彼は信頼する人です。
学生の能力を信じて多くのことを任せてくださいます。
任せっぱなしで助けてくれないこともあるけど、、
でも、社会に出たら、手とり足とり教えてもらうことなんてできないと思います。
今のうちから、自分で考えて、考えてもわからないことに関してはアドバイスをもらえるようになるために、訓練を授けてくださっているんだなと思うと、なんだか感謝の気持ちがわいてきました。
嫌いという感情は拭えませんが、、、
あと、仲間のことですが、、、
確かにメンバーの言動に違和感を感じることもあるけれど、各々に困難があり、各々が組織から受ける誘因も異なり、組織に対する貢献も異なることを考えると、違和感を感じてしまうのは当たり前のことなのかもしれないと思いました。
これを身近なもので例えてみると、仮に大学という組織の使命が「地域社会におけるリーダの育成」ということであったとしても、教授や学生や職員の方全員が使命に向いているのはあり得ない、ということと似ていると思います。
個人として、組織から受ける誘因が各々で異なったとしても、組織の使命は失われることはありません。
あのクソ教授はいつか絶対見返してやりたいです。
そう思わせるのが彼の思惑なのかもしれませんが、、、
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。