今日見た夢は、男性キャラ2人だったな。友達同士。「ご飯食べた?」「食べてない」「食いに行こうぜ!」「いや、いいよ」「食いに行こうぜ!!」「(否定の)いい」「食べろー!!!」みたいなww
何かに集中してるとご飯食べるのとか忘れちゃうようなキャラを、ご飯に連れ出すキャラ……みたいな感じ。
そういうシーン。
これを見ている時、こういうのを書ける現実の自分(私)はどこにいるのか?と言えば、どこにもいない。というのが回答。
作品に没入してる時、本の中の世界が全てで、スクリーンの中の世界が全で……それを読んでる自分や観てる自分って意識しないですよね。そういう感じだと思う。
夢に、自分が出てくる人、実在する人物(リアルの知り合いとか)が出てくる人のほうが多いと思ってて。ぼくの夢の見方ってマイノリティなのかなあ、って思ってちょっと嬉しい。マイノリティだと特別感あるしマジョリティだと皆と一緒で嬉しいですね。(まあ、もちろんそれだけじゃないけど)
ちなみに夢の話はここで何回かしてるし、「もう聞いた」「目新しい話じゃない」「つまらない」ということがあるかも。
でもそういう時は、別の人の話を聴きに行くチャンスだよね。
けど、「つまんなーい」って愚痴を垂れながらぼーっとする時間も幸せ!?
どっちもありかなあ。
楽しみを見つけに行くのも、行きつけの店でまったりするのも。
(どっちもぼくには当てはまらないけど。無意義で無価値でサイテーな時間を過ごしてる。誰に感謝されることもない、誇りに思えない時間の浪費。「それでもいい」とポジティブに捉えることは己の場合クズ野郎だとする自虐。ここで『ポジティブ』を使うのはポジティブという言葉に失礼かもしれない。また、表現が適切じゃない。言葉にできないくらい、わたしって矮小、卑小……でもこの身に宿る人の命は尊くて貴くて……大事に大切しなきゃいけない。有用に使わなきゃいけない。使える。使えるはずなのに使ってないことがよろしくない。なぜわたしがこの命の持ち主なのか。でもわたしなんだからしょうがない。大きいものを持たされた。どうにかしなくちゃ)
長々と、心の声を失礼いたしました。
いったん帰ります。さようなら
よければ
またお会いしましょう
では。
ありがとうございました。