ななしさん
私も時々、「死」について考えます。
一人暮らしだからかな?
家に帰ると誰もいなくて、掃除してくれる人もいなくてご飯作ってくれる人もいなくて
甘えたいときに甘えれる人もいなくて、連絡先交換してるのに全然誰からも来なくて。
「自分は孤独だ」
「誰からも必要とされない人間なんだ」とか
「誰からも愛されない自分なんだ」とか
「誰も私のことなんて気にしてくれてないんだ」とか
最近、それを考えるようになって
特に、叶えたい夢があるのに
それだけ叶えることができなくて
悲しくて辛くて、その夢を叶えることができないのに、「なぜ女性に産まれてきたの?」とか、
「なぜ、私はこの世に産まれてきたんだろう…今世、夢が叶わないならもうこの人生、破棄してもいい」って思っては死ぬ勇気がなくて泣くことしかできない日々…、
本当は、夢が叶わなくても生きていけるはずなのに、やっぱりそれを手にしてる人を見ると羨ましい気持ちが沸いちゃうんです。
自分がこの自分のことを愛せていたらいんですけど、
まだまだ愛せれない受け入れることができない部分があって生きづらさを感じてるけど…、
産まれたからには最後まで生きるしかなくて。
実は、たとえ死を迎えて肉体が燃えてチリになっても魂(胸の中心)という部分は消えなくて
肉体は消えても永遠に生き続けるみたいです。死んだら今持っている好きな小物たちとか推しの雑誌とか大好物の食べ物とかお金とかはあの世に持っていけないけれど、
貴方が体験した感情や記憶は魂に刻まれていて消えることはなくて思い出だけは、あの世に持っていくことができるそうです。
あの世へ行ったときに、生きているときに体験した人生の記憶を映画で振り替えることするみたいです。
亡くなって幽霊になったみなさんは、その自分の人生の振り返りをしたとき号泣するとか。「よく頑張ってきたな」って。
自分が生きてきた人生の振り返りをして
反省やらをして、次また人間として産まれると決めたとき、前の人生でできなかったこと
体験してみたかったことを、魂レベルをあげるために必要な体験をさせてくれるそうです。
だから死んだら何も残らないのは間違いで
死んだら肉体は消えるけど、体験した感情や記憶は消えず生まれ変わるまで永遠に残り続けるから、今、貴方が「死」について考える時間も意味があって起きてること。
それを通りすぎると「じゃぁ、どうせ死を迎えるんだったら生きている間しかできないことに挑戦しよう!」とか「肉体があるからこそできることは何?」とか、「行ったことがないから行ってみたい!」場所へ行って記憶に残すとか、前向きに考えれるようになりますよ。
死ぬと肉体は消えるけど今体験してる感情や記憶は永遠に魂に刻まれて永遠に生きつづけるから大丈夫。死んだあと、あの世へ帰ったとき貴方を生きる世界に送り出してくれた神様に「私は僕は、こんな体験をしてきました」と胸を張って報告ができるといいですね。