「白菜が空を飛んだ」
忘れる前に、この手記を遺す。
25組の中田国弘。あだ名は中国。身長は俺より少し高い。
中国とは1年の頃に同じクラスになった。2年で別れた。
特に仲が良いわけじゃない。
当時、一緒の班になれば話し、席が離れれば話さない。その程度の関係だった。
学年が上がり、クラスが別れた今、中国と話したことは一度もなかった。
中国は明るいやつだった。それと同時にわかりやすいやつでもあった。交友関係はきっと、広く浅くだろうと簡単に予測がついた。
俺だって、中国とは何回か話したことがある。ただ、どこかモヤがかかっていて、話した事実はわかっていても、何を話していたかまでは思い出せない。
覚えていることといえば、中国はことあるごとに「母ちゃんの作るトマトロールキャベツは最高だ」と言っていた、ということだけだ。
俺はキャベツが苦手だが、幸せそうなアイツの顔を見ると、なぜか嫌な気はしなかった。
事件が起きたのは同じクラスの宮野遥樹と一緒に下校していた時のことだった。それはあまりにも突然のことだった。
「昨日、白菜が空を飛んだ」
頭でもう一度その言葉を再生しても理解の出来ないそれは、笑いすら出てこなかった。聞き返しても、遥樹は同じ言葉を繰り返すだけだった。俯き、下唇を噛み締めて、まるで気づいてほしくないとでも言うかのように。
暗号か何かかもしれない、と、国語2の頭脳で考えたが、何もわからなかった。
ただ漠然と、白菜の英語名だけが頭を占めていた。
Chinese cabbage、確か、そんな感じだった。
俺が思い出せる限りのことは書いた。この文を書いている今も、俺の頭からは中国のことが抜けてきている。
中国とはいつ会ったか?中国はどんなやつだったか?
読み返せばわかる。中国とはきっと1年の頃に出会った。明るくて、広く浅くな男だったんだろう。
だがどこか腑に落ちない。わからない。思い出せない。
中国の本名は?中国は何が好きだった?
中国は、誰だ?
俺は今、何歳だっただろうか。
昨日、白菜が空を飛んだ。
震える足、重力には逆らえぬ身体、破裂するような音。
大好きだったトマトロールキャベツのような色に染まって。
昨日、中国は死んだ。
この物語はフィクションであり、実在の人物 団体とは一切関係ありません。
また、あなたはいつか、このちっぽけな中田国弘を忘れてしまいます。
それについては構いません。
ただ、身近な誰かの死は、忘れてはいけません。
あなたは、何を思いましたか。