これを読んでくださっている方へ。
ただ自分が考えている事をそのまま言葉にしてみました。全くもってまとまりが無く、読みにくい文章で申し訳ありません。
思えばずっと人の目を気にして生きてきた。
やりたい事も食べたいものも好きなことも、誰かと居る時は"自分が"どうしたいかより、"その人は"どうしたいのか・どうして欲しいのかを考えてきた。自分の意思ではなくその場の正解を。
自分の意見を言うのが怖かった。否定されるのが、嫌われるのが怖かった。情けない話だ。周りの人は私を優しいと言ってくれるけど本当はそんなんじゃない、ただの臆病者。人のことを考えているようで、自分のことしか考えていない。つまるところ、どこまでいっても自己中心的だ。それなのに、そんな力無いのに、何かを抱えている人を見るとその荷物を持ってあげたくなる、幸せになってほしいと願ってしまう。たぶん、誰かを助けることで自分に価値を見出したいんだと思う。あまりにも傲慢な考えだ。
自分に価値がないと気づいたのは2年前。
当時大学生だった私には時間があった。それこそ、しょうもない事を考える時間も。そんな時期に、何となく、自分の人生を振り返ってみた。何もなかった。ほんとに何も。それに気づいた時、自業自得だけど悲壮感と虚無感に襲われた。生きてる意味がわからなくなった。たぶん私は誰にも看取られることなく1人で消えるのだろう、という変な確信すら芽生えた。自分の人生なのに別の人を主人公にして生きてきたんだから何もないのは仕方なかった。でも今更それ以外の生き方なんてわからない。私は自分の人生でも村人Bである。それこそいくらでも変えが効く。私でなければいけない理由がない。
あれこれネガティブな考えが頭をめぐる。その考えを辞めたくて、何も考えたくなくて、ずっと音楽を聴いていた。寝ている時以外。そしたら、年末に分かる「今年自分が聴いたアーティストランキング」の再生時間が、他の人と比べて桁違いになっていた。
何かもう自分でも何を書いているかわからなくなってきたので、まとまりがないけど、ここで終わりにします。"まとまりがない"という前置きで本当にまとまりがないことってあるんですね笑
結局何が言いたいって、はやく終わりが来て欲しい。私より辛い人なんていくらでもいるから、辛いとか思うこと自体申し訳ないと思うけれども、どうしても辛いと思ってしまう。いるとは思えないけど、悲しんでくれる人がいるかもしれないから、今まで関わってくれた人から自分の存在を消したい。
あー、もしもボックス欲しいな。