今日、職場で悪口を聞いてしまった。
たまたまちょっと耳にはさんだ程度なので、自分自身に言われてるのか、それとも別の人に言っていたのか、わからなかったですけど。
でもなんかモヤモヤグルグルしてしまって……。
まるで自分に対して言われたかのように気分が悪くなりました。私、気にしやすいんですね。
ちょうど今の職場が、シフトの関係で前に一緒に働いていた顔見知りの人たちがいる場所なので、とてもやりにくい。業務上の連絡や基本的なあいさつは普通にやりますけど、そこには半年しかいなかったので、別に親しい間柄ではありません。
帰宅してからもモヤモヤグルグルしてしまって。
「気にしない!気にしない!」とすると余計に頭の中がモヤモヤしてしまうんですよね。「考えない!考えない!」もダメですね。
私はこういうときはいっそのこと「何もしない」を「する」をしてます。誰だって悪口を言われたら、生理的に気分が悪くなって、心が痛みますよね。心がズキズキして、痛いのです。
痛みは痛みとして確かに実際にあります。
でもそれを感じることに抵抗しないで、静かに受けることに集中し、徹します。無理に抵抗しないで痛みを味わうのですね。それはまるで、一粒のレーズンを口に含んで、ゆっくりと噛んで唾液と混ぜて、酸っぱい甘いをじっくり味わうように。痛みをただただ感じる、受ける、味わうことに集中するのです。
「私が悪かったのかな?」とか「嫌だなぁ。あの人にもう会いたくないな……。」とか、頭のモヤモヤグルグルはあるにはあるんですけど、心では反応しないで「何もしない」を「する」。ただそのモヤモヤグルグルをできるだけそのままにしておきます。そして「あ、モヤモヤがあるな!」とか「あ、今の心はグルグルしているな!」と、ただ気づいてみるのです。静かに静かに。
私は何か嫌なことがあったら、そういう風にしてます。
でも他人から悪口を聞いてしまったら、う〜んう〜んと、どうしたらいいだろう、ああしたらいいだろう、と想像力を自動的に連鎖反応で働かせてしまって、心の「痛み」をそれ以上の「悩み」に変換してしまうのが、人間というものです。弱さです。
ではどうしたらいいのでしょうか?
強くならなければいけないの?
古いことわざにこんな言葉があります。
「二の矢は受けず。」
達人も普通の人も第一の矢はみんな受ける。でも達人は第二の矢を受けない。
このことわざを今の文脈から解釈すると、誰でも悪口を言われたら嫌な気分になりモヤモヤします。これが第一の矢です。でも嫌な気分からモヤモヤグルグルしても、さらにそれを増幅させて、怒りに発展させたり、恨みに思ったり、仕返しをしてやろうと考えると、それは第二の矢を受けてしまっています。
一の矢は受けても、二の矢を受けないのが次善の策です。では二の矢を受けないためには、どうすればいいか?
一の矢の痛みを、その痛みのまま、ありのまま、あるがまま、そのままに「感じる」「受ける」「味わう」ことをすること。気にしないとか考えないとか、しなくてもいい。ただじっくりと心の痛みだけに「痛たっ……」と向き合う。ズキズキ、ジンジンを受け止める。
一日のなかで、何回も嫌なことを思い出しても、「あっ今、モヤモヤしてるな!」とか「あっ頭のなか、今グルグルしてるな!」と気づきを入れて、また再び心の痛みを感じるだけに意識を戻す。それ以上の反応や抵抗をしない。ただ受け入れてみる。
すると、痛みと自分の心がだんだん客観視できます。
痛みも永遠不滅のものじゃありません。
痛みにも消費期限があるものです。
すうっと消えていくまで、痛みを観察。
そんな風に、私は対処しています。