過酷な環境で今までがんばってきて、一番報われたと思う人生の側面は、教養ある人たちに囲まれるようになったことだと思う。故郷を出て何十年もしてからやっと、自分がどういう環境で生まれ育ったのかに気付いた。粗雑な荒い文化が主流で、低い価値観に染まってることが普通で、そこで順応できなければよくないとされる環境だったから、私はどう頑張っても馴染むことができなかった。よくも悪くも、私はあそこにいる大半の人たちと脳の構造も何もかも違ったのだと思う。もちろん、あんな中でも、たとえば家庭が温かかったり、親が私を可愛がり大切に護るような親や家族があれば、あの土地を離れなかったかもしれない。だから、その不運も、その中でも教育のチャンスだけは与えてもらえたことも、幸運だったと気づいた。
あの土地を離れて、数十年、気づくと、私は、世界のトップの大学や大学院出身の人たちが同僚にいて、仕事をする相手も、世界中のエリートや富裕層中心になった。
まだ生まれ育った環境の後遺症と闘っているけれど、私が話が通じる、と思う人たちと会話できる環境まで来れた。ちゃんと本を読んできた人たち、勉学に励んできた人たち、教養をつけてきた人たちとの会話ができて、もちろん人間性にもよるけれど、水を得た魚のように感じた。
これまで、学ぶ機会を得られなかった人たちのために学ぶんだ、という指針を持って生きてきたので、わきへだてなく人と接した結果、同じ国出身というだけの共通点の人たちと久しぶりに付き合ったら、あまりの品性と知性のなさに、生まれ育った土地で感じていた違和感を感じた。また自分がおかしいのかなと思い始めたけれど、よく考えると、あの故郷にいたような人たちと関わったから、昔感じていた不快感を感じたのだと気付いた。同じ国出身であっても、知性品性がある人はたくさんいるので、皆そうだと言っているのではない。
学歴ではなく知性、経済状況でなく品性、こういうものは、やっぱりある程度苦労して、人間としての向上心を持っていないと、身につかないと思う。
知性や品性が整っている人と繋がっていくのは、時間もかかるし運も要る。でも、しっかりと地に足をつけ、開かれた心を持ち、きちんと判別をし、素晴らしい人たちに囲まれる人生を歩みたい。