他人の死が
本当に悲しくないのか、心の防衛で悲しくないようになっちゃってるのかがわかんないの。
最近見た夢でね。女の子のお母さんが死んじゃって……その女の子は泣いていたの。とっても辛そうに、心から泣き叫んでいたの。そして、その子に寄り添う女の子が1人。その子も過去にお母さんを亡くしているの。だから、理解者のように寄り添って……その実、心の中ではなんでその子がこんなにも悲しんでいるのかわからない。私にはわからない。ごめんね……と思ってる。
そんな夢。
今までも、これからも、一生。もしかしたらわたしは、人が死んだことに涙することなんかないんじゃないだろうかと思うくらいだ。
なんで、そんなに悲しいの?切ないの?痛いの?辛いの?
頭では理解できる。空想として、物語として紡いだなら、その心の痛みをほんの少し感じることも可能だ。演技として擬似的に体験はできても、本物は味わえない……そんな感じ。
現実に、両親を亡くしているのにも関わらず。だ。
リアルってそんなもんなのかもしれない。どうなんだろうか。やっぱ人によるか。
わたしは誰を失えば、心から、真に、悼むことができるんだろう?
人として、【死】に対してどのように心が動けば、もっとも美しいのだろうか……
マナー通りに、ルール通りに、心が自然と動いて正しい行動(言動)をとってくれたらいいのだが。
皆が皆、どうもそうはいかなくて。
『人の心が無い』ように見えてしまって、悪く囁かれたりもしてしまうのね。
頭では理解できても、頭の中で想像はできても、その『情』を表に持ってこれなくて……冷静、平然、淡々と。まるで、両親の死なんかどうでもいいみたいに。
ごめんね。
表現してあげられなくて。
仮に、表現したとして……それが嘘や演技というわけでもないはずなんだけど。そもそもぼくは演技ができるような人間ではないし。(演技すんの恥ずいッス)
裏で声がするから。「嘘つき」って。
裏に声を作ってしまうから。「人の訃報に胸を痛められない身体のくせに、誰かの痛みに寄り添ったり共感できるわけないだろ」って。
本当に嘘つきかどうかは、本日もわかんないまんま お届けしております。
それではまた会う日まで、ごきげんよう。
ありがとうございました!