死にたいと思ってた時は誰の言葉も届かないし響かない。
死なないでと言う言葉にも
気持ちはわかるという言葉にも
生きてて偉いと言う言葉にも
全部薄っぺらいその場限りの綺麗事にしか聞こえない。
生きてて欲しいなんて誰も本気で思っちゃいない。
「そうあれ」という義務感と宛メで推奨とされてる「受け止め」の代表的な言葉として扱われてるから通りやすいだけと俺は考えている。
あくまで「俺の考え」であって宛メの返事の全てを否定する意図ではないと言うことを強調しておく。
自分が悲劇のヒロイン・主人公に浸っていたから良くわかる。
死にたい、生きていたくない、もう死ぬ。
そんな言葉を並べ立てていたらいつか死ねて楽になる。
そんな風に錯覚してるんだよな。
実際にしていた。
だが現実は何も変わりやしない。
今でも死にたいと思ったり投げ出して逃げたくなる。
そして宛メを眺めれば同じ様に「死にたい」「もう死ぬ」「生きてる価値がない」そんな小瓶が目にはいる。
かつては自分と同じ仲間なんだと共感を示した。
今はこれらが「悪」に見える。
ただ自分が可哀想だと思いたいだけなのだと、過去の自分と重ねる。
死にたいに飲まれてる状態はアクセルをフルスロットルで踏んで逆走で暴走してる状態なんだ。
ブレーキ踏め、落ち着いて運転しろ、なんてあまっちょろい事を言ったって止まらないんだよ。
そうなったらどうする?
パトカーとかで体当たりしてでも止めるしかないだろう?
けど宛メではそういう行動は「傷つく人がいる」って言って出来ないのさ。
そして暴走している俺は気付く。
この車はブレーキ壊れてる。
アクセルももう戻らない。
このまま逆走してたらどこかでぶつかって死ぬ。
強引にハンドル切って、多少壁にぶつかったときても方向を無理やり戻すしかねえ。
そうやって今は「生きる」って方向に無理やり修正した。
ブレーキは壊れっぱなしだ。
速度の調整など出来やしない。
止まりたかったら壁に擦り付けてでも止まるしかねえ。
そしてたまにまた「死にたい」に向かってる逆走車を見つける。
「あぶねえじゃねえか!逆走だぞ?俺は生きようとしてるんだから巻き込むなよ!止まれねえなら無理やりにでもぶつけて順路にもどれ!」
「ぶつかったら自分の車が傷付く?そんなのしるか。そのまま逆走してても死ぬだけだぞ?どっかで他の車とぶつかって死ぬぞ?しかも逆走してるお前が悪だから責任とらされるぞ?だったら無理してでも順路にもどっておけよ」
俺は死にたいって暴走してるやつにそう言いたい。
それでも聞く耳持たないならせめて俺とぶつからないところ、見えないところで事故ればいい。
俺は壊れた車でなんとか生きようとする道を逆走しないように無理繰り合わせていくしかねえ。
時折間違って逆走しかけたら無理にでもぶつけて矯正するしかない。