でも、病気には重さがあるよね。なんでそこで優先順位をつけないの?妥協して割り切らなければならないことはたくさんある。なのにそれをなぜ実践しないのだろうか。俺はそこまで重いわけじゃない。なら、他の重い人を優先するべきだ。こんな中途半端なやつに気をつかう時間も労力もないだろうに。
中途半端な状態は嫌。できるけどやらないのは、もはや怠けてるとしか言いようがない。痛いのは嫌い。だけど、心の痛みは癖になる。誰でもいいから俺を傷つけて欲しい。いくらでも刺して欲しい。ズタズタにして欲しい。胸が締め付けられて、息が苦しくて、でもあったかくて、泣きそうになる感覚を味わいたい。自分が現実にいることを感じたい。
自分を分析して、奥の奥にいる自分を暴きたい。考えたくて、知りたくてたまらない。好奇心を満たしたい。たとえ、奥に知りたい自分がいなくてもいい。いなかったというのも一つの答えだから。その過程で痛みがあるとなおいい。プロフィールで反論して欲しいって書いたのもそう。別に傷つかないわけではない。衝撃を受けるときだってある。でも、考えていくにつれて好奇心が満たされていく。痛みが快楽に変わっていく。自己分析が思わぬ方向に進む時もある。そのときは、天啓を受けた気分になる。こんなことに付き合わせちゃって悪いとは思うけど、知りたいし暴きたいし満たされたい。
今日の小瓶はぐちゃぐちゃ。