こんにちは。いかがお過ごしですか?
…と言ってみましたが、この海辺に来ている人にこの質問をする、というのも変な話ですね。
前置きとして、この小瓶は、ほぼ自己満で流しています。
姉に対しての愚痴とか、愚痴じゃない感情とか、全部ごちゃ混ぜにした文章です。
まぁ、8割方愚痴になると思います。ご了承ください。
思いつくままに書いているので、時系列はぐちゃぐちゃです。
文章がおかしかったり、言葉の意味を間違えて使っている部分が多々あると思います。
そして、この小瓶にはなんの意味もありません。
それじゃ、本題に入りましょうか。
私の姉は、ものすごく外面が良いです。
(ここでの「外」というのは、主に学校やお店などを指します)
その反動からか、家ではだらしなく、口も態度も悪いです。
最近は少し良くなった気がしますが…
先に謝っておきます。急に変な話をぶっこみます。
私は不登校で、平日はたいてい一日中家にいます。
ずっとだらだら過ごしていて、家にいるのに何もしない罪悪感があります。
なので、気が向いたら洗濯を回したり、干したり、取り込んだり、食器を洗ったりします。
ただの自分勝手な埋め合わせです。
やらない日はまったくやらないんですけどね。
なんのための罪悪感なのでしょうか。
その日もまた、埋め合わせの家事をしていました。
ですかその日は、いつもと違うことが2つ。
1つは、家に姉がいること。もう1つは、仕事量です。
洗濯物を取り込んで、畳む。洗濯を回して、干す。
これを全てやり遂げたのです。
私は洗濯物を畳むのが大の苦手です。
まず畳み方が定まらないので、人の3倍は時間がかかります。
靴下や下着になってくると、誰のものなのかよくわかりません。
そんな「畳む」という作業まで終わらせたのです。
仕事から帰ってきた母は褒めてくれました。
そこで姉は、母の後ろでスマホを弄りながらこう言いました。
「それ以外なんもしてないけどねw」
褒めろとは言いません。ノーリアクションでいい。
確かに、正論です。それ以外は何もしていません。事実です。
でも、今でもスマホを触るくらいしかしていない人には言われたくありません。
母は、聞こえていないのか、聞こえていないふりなのか、姉の発言には特に無反応でした。
家では口のストッパーがあまり効かないようです。
普段外面を極限まで良くしている人間に、家でもそうしろなんて要求はできません。
もう少しストッパーの強度を高めてほしいところはありますが。
姉はいつも正論を振りかざしてくるので、反論しづらいのが嫌なところです。
正論言っとけばいいってもんでもないんですけどね。
休日、私がYoutubeを観ていると、「それ何が楽しいのかわからない」と言われました。
知ったこっちゃないです。だからなんだ。
人が好きなものを否定してくることが本当によくあります。
歌番組を観ていれば、「このアイドル好きじゃない」
ドラマを観ていれば、「この役者好きになれない」
動画を観ていれば、「何が楽しいの?」
めちゃくちゃ疲れます。
その発言が飛び出る度に場の空気が濁ります。
いちいち自分の好みを発表されても全然興味ない。
黙って観ていてほしい。というか、一緒にテレビを観ていたくない。
あの発言が出るのは分かってるんだから。
姉だって、何にも興味がないってわけじゃないのに、どうして人の好きなものをそう否定できるのか。
人の嫌なところを考えると、自分の嫌なところも目につきます。
「起きるくらいはしろこっちだって頑張ってんだよ」と寝坊の多い姉に言われたのを思い出せば、
朝起きられない自分も一緒に思い出す。
これも正論だし。
姉には昔、不登校の友人がいました。
姉はその人のことをすごく心配しているように見えました。
同じく不登校の私への対応は、全く違うものでした。
不登校にも、いろいろ原因があります。
いじめ、人間関係、勉強についていけない、人の多い場所が苦手、等々…
自分でもよくわからない、という人もいますよね。
その頃の私の不登校の原因は、担任の先生でした。
毎日10分以上続く理不尽な説教や問いかけに気が滅入り、初めて学校に行きたくないと思うようになりました。
完全に登校が途切れるまで色々ありました。
甘えだと言われ、無理やり学校に行かせられたりした時期も、姉は助けてくれませんでした。
味方も居場所も何もなく、果てには死にたいと思ったりもしました。
姉の友人と何が違うのでしょうか。不登校になっている以上、辛いのは同じはずなのに。
私には心配すらしません。
そんな姉は、最近「自分は不登校の人に何もできなかったな」と言っていました。
あれはきっと、私ではなくあの友人に向けた言葉なのでしょう。
姉は、絶対に私の「つらい、死にたい」という感情を認めてはくれません。
あの頃はほぼ鬱病みたいなもんだったよ〜なんて笑いながら話した時も、なぜか私が担任を鬱病にさせたことにさせられます。
まぁそれもなくはないかもしれません。手のかかる生徒だっただろうし。
それにしたって意味がわかりません。なぜ認めてくれないのか。
正確な診断を受けたこともありませんが、気持ちがどん底にあったことは事実です。
なぜ…
いや、もう認めてくれなくてもいいです。否定しないでほしかった。
否定だけは、あの時絶対にしてはいけないことだったはずです。
あの時あのまま死んじゃえば、家族に罪悪感持たせられたのかな、後悔させられたのかなって考えることもありますが、あんな家族です。自分たちが原因だって考えに至るわけない。遺書とか書くしかないね。
あの頃死んでいても、何も生まれるものはありません。
もう期待もしないほうがいいですね。
今まで何度も、姉に対して、いなくなればいいのにとか、生まれてこなければよかったのにとか、殺してやりたいとか、何度も思ったことがあります。
でもそう思って少し経つ度、やっぱりいてほしいなぁなんて思ってしまいます。
私は重度の人見知りで、何も考えずに会話できる存在が姉くらいしかいません。
人見知りって不思議なもので、自分より下に見ていたり、嫌いな人間には人見知りしないんですよね。
なので姉には人見知りしないのです。貴重な存在です。
そういう存在が1人はいた方がいいじゃないですか。
なので、ずっと花占いしてるみたいな感じになります。
好き、嫌い、好き、嫌い…
これを延々と繰り返してます。疲れます。
姉がいるととにかく疲れます。でも、必要な存在でもあります。
いなくなったら多分困ります。
どうしたものか…
まだまだ書けることは溢れるほどありますが、もう疲れたのでやめます。
過去にあった嫌なことを掘り起こして愚痴るのが好きなしょうもない人間なので、この話題についてまた書くかもしれませんね。
ここまで全て読んでくださった方がいたなら、疲れたと思うので一旦休憩してくださいね。
ありがとうございました。
それではさようなら。