毎朝駅のホームに並ぶ。
線路を眺め続ける。
今なら行けたかもって思う。
そう思っているうちはまだダメだ。
ちゃんと行けた人は脳死状態になるまで追い込まれた人なんだろう。そうじゃなきゃ怖いもんな。ダイブなんて正気の沙汰じゃない。
怖い痛いとか頭によぎるようじゃまだまだ余裕があるんだ。余裕あるくせに死にたい死にたい言ってるなんて甘えなんだよなあ。
そこまで追い込まれた人たちに同情しつつ、そのくせ帰りの電車で人身事故でもあろうもんなら舌打ちする自分。
本当終わってる。
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私も、いつも考えてる。
電車がホームに入ってくる時。
横断歩道を渡る時。
でも自分で死ぬ勇気はないから、居眠り運転してる車いないかなあ、なんて考えたり。
だけど、交通事故や人身事故で迷惑を被ると、ちゃんとイライラする。
だけど同時に、少し羨ましくなる。
ああ、そこに私もいたかったな。
一緒に逝けば、怖くなかったかも。
私もこれは甘えなのかな、って思ってた。
だけど、きっと逆なんだよ。
逝くってことは、この世の全てから逃げるってこと。
生きるってことは、苦しみながらも現実の中にあろうと耐えること。
きっと、今苦しみながら生きてる私たちの方が、尊いんじゃないかなって思う。
怖いって思ってるうちは、まだ耐えられる。
まだ、甘えなくても生きていけるってことだよ。
>そこまで追い込まれた人たちに同情しつつ、そのくせ帰りの電車で人身事故でもあろうもんなら舌打ちする自分。
私も帰りの電車が人身で止まったら全く同じ感情です。
誰かを心配したり同情したりするのは自分に危害がない時なんだよなぁと感じます。
ななしさん
私も踏切で、迫ってくる電車をずっと眺めてることがあります。
今だ、今なら、って思っていても、なかなかダイブできない。
運転士や乗客や目撃者のトラウマになるだろうなぁとか、死ねなかったら人生さらにハードモードになるだろうなぁとか、色々考えてしまうんですよね。
死にたくて線路を眺めてるのは、もう相当追い込まれて余裕をなくしている証拠です。
それは甘えじゃないと思います。
人身事故で舌打ちするのも、一日死ぬ思いで働いて、心も体も疲弊しきっているからではないですか?
そういう人、きっと主様の他にもたくさんいると思いますよ。
わかります。
線路にダイブでも他の方法でも、痛そうとか怖いとか、家族の顔が浮かぶとか、ちょっとでも正気が残ってたら絶対にできない。
腹立たしくて舌打ちするのもまだ自分が生きられる証拠。
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