いつも緊張しながらシアターに入って
神経質に店員へお金を渡し
神経質に店員へお礼を言いながら
チケットを買う。
鈍臭いから狭い入り口を並んでるときに
机に置いてある消毒液をかばんで落とした。
周りの人に、いっせいにじっと見られる。
恥と罪悪感と恐怖が入り乱れる。
あっごめんなさいごめんなさいと
いう気配を滲ませながら
私は無害であるというアピールに徹する。
決められた動きを繰り返す人形のように。
席に座ると周りの声が気になる。
呼吸や衣擦れの音に過敏になる。
隣に知らん人が座ってくる。
自分が他人に迷惑をかけないかが気になる。
心臓がどくどくと脈をうつ。
まるで激しく泳いでいるときのように
吸った空気がみずみずしく感じられる。
身じろぎさえ、誰かの気分を
害してしまうような気がしてくる。
もこもことかさばる上着を脱がないまま
五分間携帯も触らないでただ呼吸をする。
水を飲む。
そのうちに暗くなる。
他の映画の広告が流れてくる。
鑑賞中の注意事項が流れてくる。
ドキュメンタリーが叫び声と共に始まった。
息を呑む他人の音が気になる。
すると自分がそれをしてしまわないかが
不安になってくる。
結局気にするほど、してしまう。3回程度。
音を出すのが申し訳なくて水も飲めない。
それでもそのうちに、だんだんと
映画の内容に引き込まれてくる。
最初、人物の滑舌や画質が悪くって集中できない場面が多かったけど
時系列と事態の進行につれて画面があきらかに鮮やかになってくるのがわかった。
『どうすればよかったか』
統合失調症の姉と
彼女の精神科への受診を拒んだ家族を
監督の弟が約二十年間撮り続けた話。
自分の境遇がすこし監督に似ているから
観てみたいと思った。
で、ひとつの家族が終わるまでを観た。
死ぬまで、あるいは今も生きているなかで
彼らは何を感じていたのだろう。
映画に集中すると、人物の一挙手一投足に
感情移入をすることになる。
すると人の目が気にならなくなる。
それは、私という人間が私でなくなる時間。
全ての注意を自分に向けてしまう異常性から
解き放たれる瞬間。
すべてを観終わって外に出ても
投げつけられた感情や問いは残され続ける。
このときの、クラクラするような感覚が
心地いいと感じる。
映画館へは、正気を買いに行く。
弱さも狂気も感情もすべて作品に投影して
私はただの傍観者になる。
それは今の私にとって
とても重要なことのような気がした。