何が正しいのかわかんない
誰もにとって正しい事なんてあるはずがない
自分含めて誰も間違ってたとは思わない
でも、今まで信じてた「絶対的な何か」が急になくなってしまった気分
死にたいってよりは、生きる意味を見失ってるし、どうやって生きていこうっていう感じ
疲れた
何をしてるわけでもなくストレスがかかっているわけでもなく、なのに疲れてる
思考を放棄したい、そういう意味では死にたい
誰かを救いたかったから医療従事者を目指したけど、私には誰かを救う資格なんてないのかもしれない
それを願う資格もない
資格がないって言うのは相応しくないって意味
もしかしたら今までたくさん人を傷付けておいて人を救おうなんて、すごい化け物になるのでは
勘違いしてて、身勝手で、エゴ押し付けて、自分が正しいと思ってる、そんな化け物
本当に私は誰かを助けたいよ
でも、結局そんなの綺麗事で、何もできないんだよな
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人間誰しもエゴの塊だと私は思います。
私のこの返事も自分がそう思ったというエゴから書いたものだと前置きします。
誰かを救いたいから医療従事者を目指す。
医療従事者になって働けば、それで助かる人もいると思いますよ。
実際に私も入院した時に看護師さんやリハビリ担当の理学療法士さんにはお世話になったし助けられたと感じましたから。
でもその人たちも100%の善意だけじゃないと思います。
嫌な患者だったら相手したくないなとか、自業自得の自殺未遂者をなんで助けなきゃいけないんだみたいに思うこともあるかもしれません。
学生の頃に散々悪さした非行少年少女だったかもしれない。
何となく他に進む道がなかったから取りあえずで看護師になったって人もいるかもしれない。
高給取りだからとか医者の家系だからとかの動機で、人助けの精神以外の理由で医者になった人もいるかもしれない。
でも私はそんなのどうでもいいです。
私を助けてくれれば感謝するし、そうでなければ感謝しない。
私の担当はベテランの人と1年目の新人の2人がいて、私の治療を新人のOJTにちょうど良いと思って宛がわれたかもしれない。
新人の子ももしかしたら成り行きでリハビリの仕事についたのかもしれない。
だとしても私はその人達に感謝します。
なのでエゴでも別に良いんじゃない?
例えば
今目の前に苦しんでいる人や
傷ついて痛がってる人がいたとして
その人たちは資格や、相応しい人かどうかなんて
気にするでしょうか?
傷を縫い合わせたり、臓器を切ったりすることならまだしも
悩んだり、落ち込んだり、心に傷を負った人たちは
たとえどんな人でも助けてほしいと切に願っています。
医療知識や資格がなくても癒せる傷はあります。
たった一言
「大丈夫ですか?」と
声をかけるだけで救われる命もあります。
考え始まると余計に混乱しますよね。
「どれが正しい」
「なにが正解か」
「間違ってはいけない」
そういった言葉が
純粋な心や考えを惑わしてしまっているのかもしれません。
人を助けるということは
気の利いた事や、価値ある事をすることではないと思います。
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