手紙ひとつを残して、もうすぐ実の家族の前から失踪する。
今は書き置く手紙を書いている途中で、「どうして私がこんなことしなきゃいけないんだろう」と筆が止まってしまったので、心の内を徒然と書いて流そうと思う。
我が家では暴力を受けることも金銭的にも困窮することはなく、平和で、絵に描いたような「いい家族・いい親」だった。
表向きは間違いなくそうだった。
私も高校生の頃まではそう思って、この家が普通だと信じ続けてきた。
けれど不本意進学となった大学生の頃から人生がどこか軋みはじめて、社会に出て何かが決定的にうまくいかなくなって精神科を受診した。
心理カウンセリングで自分の生育歴を語った時、カウンセラーに「その環境でよく生きてきた」「自ら命を絶つことなくカウンセリングに繋がってくれて本当に嬉しい」と言われ、自分の育ってきた環境がどれだけ狂っていたのかを初めて自覚した。
それから紆余曲折あり、いつか出ていこうと計画しながら要介護の親と共に実家で暮らしてきたが、この生活も来週でついに終わる。
実家のすぐ近くで一人暮らしをする兄弟と遠方に単身赴任しているもう片方の親に要介護の親を任せ、私はこの家を出ていく。
出ていくことは家の中の者には誰にも話さず、秘密裏に部屋を借りて出勤やお出かけと偽っては少しずつ私物を運んできた。
いま実家の私室に残されているのはパソコンと数日分の衣類だけ。
連絡も絶ち、ただ一枚の手紙だけを置いて失踪する。
失踪なんてしなくても、堂々と理由を話して堂々と出ていけばいいと同僚などにはよく言われる。
私もそれができるなら本当はそうしたい。立つ鳥跡を濁さず、穏便に家族と別れたい。
けれど今までの経験から、「私はあなた達のこういうところが嫌だった」「あなた達の何気ない言葉から無言の圧力を感じていた」と真正面から話しても「そんなことやってない」「そんなつもりで言ったんじゃない」と流されて、しまいには「親のせいにしたいのか」と責められることは分かりきっている。
そんな押し問答になったとき、生育歴上ストレスを小出しに表出することを学べなかった私は、今までの恨みつらみが募って手が出てしまうかもしれない。それは避けたい。
だから、こうするしかなかった。
こうするしかなかったのさえも親のせいなのだが、「誰か一人が悪いわけじゃない。一人の悪者を作って責めたりしないでほしい」と、憎しみありあまる家族のためを思って長々と手紙を綴っているのはもはや病気の域なのだろうと思う。それもまた、育った環境のせいだ。
手紙を書く手が止まるたび、そんな思考の堂々巡りに陥ってすべてが嫌になる。
けれど出立の日は迫ってくる。止まっている暇はない。
この計画を実行に移すと決めた以上、私は姿を消すための準備を淡々と進めるしかないのだ。
がんばろう。がんばろう。
手紙の最後に添える言葉は、決まっているのだから。
母へ
父へ
兄へ
弟へ
いつかみなさんがこの手紙の意味を理解できる日が来たら
親族の介護に後ろ髪を引かれてなかなか実家離れができない一人娘のことを、便利な家事ロボットとしてではなく一人の人間として尊重できる日が来たら
私を自身の手足の一部としてではなく、私は私という一つの“個”だと認められる日が来たら
再会できることを祈っています。
さようなら
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項