性被害の話。
他の被害者が当時の状況を話す。
「○○された」では、自分はフラッシュバックしない。
そんな酷いことがあったんだ、可哀想に、とは思う。
具体的な状況がフラッシュバックしやすいと自覚した。
「抵抗できなくて」「殴られると思った」「されるがままだった」「逃げられなかった」「こんなこと誰にも言えない」
こういう言葉を見聞きすると、写真や映像のように生々しく思い出す。
依然として、当時の悔しさや悲しみや恐れは蘇らない。
怖かったんだと思う。
でもそれは予想でしかない、自分のことなのに。
当時の感情が、残らなかったのか忘れただけなのか分からないけど、とにかく思い出せない。
他人に「それは怖かったね」と言われて初めて恐怖心があったかもしれないと予想するようになった。
今までそう思っていた。
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レイプの被害にあった人の言葉を聞いた。
「「私も人間なのに」と叫びたくなるような経験だった」
この言葉は、すごく刺さった。
私は、そんなこと思わなかった。
自分は尊重されるべき存在ではないと、この方が言葉にしてくれたおかげで、自分はそう思ってるのだと認識した。
そうだよね、同じ人間だから、こんな目にあっていいはずがない。
だから、自分は、自分が加害者と同じ立場にある存在ではないと思い込むことで、出来事を正当化しようとしていたのかもしれない。
自分が歪めば、私が人間じゃなかったら、そんなこと(性被害)もあるだろうと。
事の重大さにようやく気付いた。
今でも「たったそれだけ」という気持ちは消えない。
それでも、複数人から、あれは性暴力だと認められたことを、今の自分は忘れてないし受け入れてる。
性暴力は、魂の殺人とも呼ばれるらしい。
そうか、だからあの時の人間だった自分は殺されてしまったんだ。
そんなことで死んでしまったんだ。
だから、頭と体が切り離されたり、人間じゃないと思い込むことがあったのか。
トラウマを忘れて楽しむ人間らしい時間もある。
でもこうやって引き摺り込まれてぐちゃぐちゃになることもある。
されていいはずないことを、私はされたのか。
嘘だと言ってほしい。
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