ななしさん
確かに、私がいなくても世界のほとんどの人は困らない。
しかし私は、私を軸としてしか世界を見ることが出来ない。
皆それぞれ、自分を中心にした世界でしか生きられない。
だって自分は自分でしかなくて、どんなに誰かを愛していても、ぴったり重なって理解したりその人自身になることは出来ないから。
そもそも自分が中心の世界しか見えないなら、私は世界の中心。
この世はたったひとつの世界ではない。
誰もが持つ自分中心の世界が、複雑に絡まり合っている集合体。
運命がないというなら、人間だけでも数十億いる世界の中であなたの小瓶と私の出会いは一体何?
確かにただの偶然だ。
しかし、私にとってはとても心が揺さぶられる偶然。お返事を書きたくなるほどの。
自分にとって特別な偶然を、他の偶然と区別をつけたい。この人は(この出来事は)私の特別なものだと抱き締めたい。
そういう人がたくさんいたから、運命という言葉が世界中に存在するのではない?
利害関係だけなら、あなたはなぜこの警告の小瓶を流したの?
家族でもなく同僚でもない、出会うかすらわからない赤の他人に警告をするのは、あなたにとって、大切な時間を引き換えにする程の大きな利益があったとは思えない。
ただ知らせたかっただけなのでは?
あなたが自分や他人の経験から感じたこと、まさしくあなたを中心とした世界で起きたことを、これは危険だと思ったことを、他の世界に伝えたかっただけなのでは?
利害関係ではなく、あなた自身の知らせたいという感情として。
そういう、利害と関係ない感情や行動を、優しさや気遣いや、勇気などと呼ぶ。
私は人の本音というのは言葉でなく行動に現れると思っている。
利害でしかないと言いながら、小瓶を流すというあなたの行動は優しい。
ドグマ的思考をやめろと言いながらも自分自身がそれをまだ胸に抱いて、未だ懸命にもがいている姿を想像している。