※暗いです。
※「自殺」という単語を使っています。
私、昔は、自殺をする人が嫌いだったし、ムカつきもした。
「どうして死に逃げるの?」って思ってた。
でも、自分が追い込まれて初めて、逃げたんじゃなくて、周りが見えなくなったんだ、って知った。
あくまで私の個人的な体験だし、自殺を認めたり推奨する訳じゃないということは、先に言わせて下さい。
1年の時の4月の日記。
目立つ言葉は「怖い」「ごめんね」。
田舎の暢気な校風の中学から進学校に入学して、1週間経たないでノイローゼ(気味)になった。
学校に行くのが怖くて、クラスについて行けなくて焦って、段々と、周りが見えなくなっていた。
その時、別に、「死にたい」って考えたことはなかった。
ただ辛くて、焦って、怖くて。
そうしたら、いつの間にか、不安に潰されていた。
階段や駅のホームで、自然に頭を過った。
「このまま落ちたら、
死ねるのかな」って。
はっとして、怖くなった。
「自分に殺される」って。
背中にベッタリと「死」が貼り付いている気がして、自分が怖かった。
ぼーっと、鋏の刃を手のひらに滑らせてたりもしてて、意識せずにしてるのがすごく怖くて、階段の上に立つのが怖かった。
自分に怯えた。
逃げだったのかもしれない。
「そのっくらいで」って思う人もいるかもしれない。
でも、「怖い」って気持ちは本物だったと思う。
私はそれ以来、「自殺」を「逃げ」だとは言えなくなった。
「死にたい」って軽く言って欲しくないけど、「死にたい」って泣いている人がいたら、私は見捨てることができない。
私を見失わないように強く抱きしめてくれた母に感謝しているから。
自分を見失って、他の方法が見えなくなっている人もいると思うから。
世の中、自分よりも過酷な環境にいる人はいくらでもいるってわかってる。
でも、辛いと泣いている人だって、いっぱいいっぱいで耐えている人だから。
その人の限界には違いがないから。
よくわからない話になりましたが、読んでいただき、ありがとうございました。
咲月