友達とのやり取りで考えたこと。
生きてるだけで幸せなんだからそれに感謝しなさいっていう日本の道徳はどうかしている。
「生きてるだけで幸せ」というのは一部の人の価値観でしかないと思う。
一時の気の迷いでも、真剣にそう思っても
消えたいって 死にたいって
言っちゃダメなんてやりきれない。
辛いのは皆一緒、っていうのはわかる。
だからどうするのか、っていうその先の考えを押し付けちゃダメだ。
これ以上頑張れそうにない人に「諦めちゃダメだ」って言葉は拷問のようだと僕は思う。
生きる意味って何?という友達の言葉から始まった数人のやり取り。
今が楽しければいい、って答えは「今」が楽しくなければ意味がないととれる。
これから探せばいいんだよ、という答え。無責任だな。その人は「今」知りたいんじゃないの?「今」を乗り越えるために、意味を見出そうとしてるんじゃないの?
そもそも第三者から「生きる意味」を与えられている人・見出されている人なんてほとんどいないんだから、気にしない方がいいと思う。
他人から見た自分は大体「どうでもいい」か「生きてるだけでいい」のどちらかだと思う。条件付きで生死を求める奴なんてほとんどいないんだから考えるだけナンセンスだ。
ここで疑問に思ったのだが、そもそも「生きる意味」というのは第三者が絡んだものを指しているのか、それとも自分主体のものなのか。(僕は第三者が絡んだものだと思い込んでいた)それによっても生きる意味が各々必要なのかが変わってくると思う。第三者が絡んだものであるなら前述の通り、考えるだけナンセンスだし、自分主体のものなら突き詰めれば結局「自分のやりたいことをやること」になるから第三者に意見を求める必要はないと思う。自分のやりたいようにやればいい。
と書いてきた僕にとっての生きる意味は、死ぬ勇気がないから生きるしかない。これに尽きる。
終わったばかりの中学校生活を振り返ると事あるごとに生きる意味について考え、死にたい、消えたいって思ってきたけど、今考えてみるとこんな感じに落ち着く。
長文・乱文失礼しました。
不快に思われた方、申し訳ありません。
りぃふ
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ななしさん
生きる意味は主観的なものですね
未来の人のために頑張って生きる人もいれば
強姦するために生きてる人もいれば
人を殺すために生きてるって人もいるだろうし
生きる意味は誰がどう考えても良い自由な領域で
道徳にも倫理にも属さない
良く言えば信念、悪く言えば自己中心的なものだと
脳内の友人たちと話し合いの結論です
かなり似た結論になってしまいましたw
「死ぬ勇気がないから生きるしかない」
生にしがみつける強力な惰性になればいいですね
ななしさん
生きてるから生きるってことかな。
ななしさん
生きる意味なんて考えたことないし、考える必要もない。
どう生きたいか。
生きたいように生きるにはどうすればいいか。
私はこれに尽きる。
あくまで、私は、ね。
ななしさん
生きることを全肯定してる人は嘘くさくて気持ち悪い
個人的には死にたい思いを抱えつつ生きる方が
性に合ってるのですけど
やはり他人から見れば嘘くさくて気持ち悪い
生きるって本当に個人的問題なのだと思わされますね
ななしさん
国ってヤ○ザみたいなもので
産まれてきたら、死ぬまでショバ代払い続けなきゃなんないんだよね。
生きるには何もしなくてもお金がかかるってこと。
だから社会人になったら仕事しないとね?
さぁ、お国のために頑張りましょう!
ななしさん
今の日本の世の中、幸か不幸か(本当なら幸福なことなんですけど)「死」が遠くにある(と感じる)のでそういった意見も出て来るのでしょう。
「生きているだけで感謝しなさい」という言葉は、戦争中であったり戦後間も無い時期であったり、昔の江戸時代やらの「今日居た人が明日には居ない」「今生きていた人が次の瞬間に死んでいる」、「今生きてること自体が結構な幸運の産物ですらある」、「死にたいとか生きるのを諦めたら本当に直ぐ死ぬ」様な時代の価値観を多少継承しているのでしょう。
明日死ぬかもしれない、だから今を精一杯生きる、明日知り合いが死ぬかもしれない、だから会ったその日その瞬間を大事にする(一期一会)。
死にたいと思った次の瞬間に突発的な事故などで自身が死んでも何の後悔も無いというのならそれもまた良しだと思いますが。
他者と喧嘩して仲直りしようとしたけれど気まずくて何日か話しかけられなかった、しかし、何かしらの事故でその相手はその期間中に死んでしまった。
それでも後悔しないのならそれも良し。
後悔したのなら生きる真剣さが自身の人生にとって足りなかったというだけのこと。
死にたいと思っても心の準備ができていないからと言って死の間際に後悔したとしたらそれは「生」に対しても「死」に対しても何も向き合っていなかったということになります。
「今」を本当に知りたいというのならその「今」に文字通り命懸けで(次の瞬間に死んだとしても後悔しない様な意気込みで)挑むしか無いと思います。
ななしさん
とても難しいと思いながら読みました。
人それぞれ答えを見つけていくものだから、
これが『正しい答え』と言えるものは出ない、究極の疑問かもしれないですね。
そして、その『答え』は自分の答えであって、人の答えにはならない。
近い答えは出てくるかもしれないけれど、ピッタリ同じにはならないでしょうね。
『生きる意味』は『死ぬ意味』と似ているように感じます。
生きることは死ぬことだと、私は思うから。
私は、生きる意味を見つけられないまま死ぬかもしれないですね。
案外、死ぬときに初めて答えが見つかるのかも。
でも、それでも良いかな。
もし私が人から『生きる意味』を問われたら、それは自分で見つけるものだと答えると思います。
突き放すようだけれど、無責任な答えを出したくないから。
これが今の私の答えです。
ななしさん
人は、色々な悩みや苦しみ、そして煩悶を抱えつつ生きていくのだと思う。生きる意味を見いだすべくもがき、悩み、苦しんで、それでも時間は過ぎて、気がつくと何年何十年と経っている、そういうものだと思う。悩んでいる間はこたえは見つからないが、その悩む時期が自分の人生の基盤をつくってくれるのだと思う。人によって人生の目的は違うだろうから、他人がどうこう言う話ではないかも知れない。意味があるとかないとか言うより、そうやって悩むことに若いときの意味があると思う。若いときに人生の意味とか目的などについて真剣に考え悩むことが、後々の人生で自分の人生の指針になると思う。若いときにしかできないことが、ある。
生きていることに感謝するというのは、自分が苦しんではじめて生きていることの素晴らしさに気づいて感じるものだと思う。自分が苦しめば、他人の苦しみがわかり、それだけ慈しみを持てると思う。
ななしさん
小瓶主の考えもまた
「一部の人の価値観」
もちろん、私の考えも。
みんな、一人一人が、一部の人。
ななしさん
わたしも、消えたい死にたいって、よく思うよ。
でも、そういうふうに、落ち込んだりできることそのものが、しあわせだとも思ってるよ。
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