数日ずっと思っていたこと。
『何故まだ親に嫌悪感を抱くのか』
自分と相手の領域がはっきりしていないからだ。
融合や共依存を、『愛してる』という言葉で隠している。
虐待の記憶が薄れた今、
未だに嫌悪感や吐き気を感じるのは
行動や言葉の裏に真意を感じるから。
親が納得できないのは、価値観が違うからだ。
きっと共依存していた状態から、一転した私の状態に
『行かせないよ』と
言いたいのだろう。
ふわふわのクッションに頭を埋めて
何故か先輩の手を思い出した。
固かった先輩の手も
友達の目も
柔らかなクッションにも
共通しているのは、再現なく自分を包み込む優しさ。
もう分かったよ。
依存』が親の思う愛なんだろう。
それがあんたらなりの愛なんだろう。
そういう意味では、確かに私を『愛していた』んだろう。
否定はしない。
だけど受け入れて許すことは出来ない。
間違ってるとか、そうじゃなくて
単純に私が欲しかった物と違っただけだ。
それが領域に土足で踏み込まれる嫌悪感なんだろう。
もう押し付けがましい人のことなんか、どうでもいいや。
Spica