上から目線のはなし。
よくね、昔から、上から目線とやたら言う人と、
言われる人というのがおりまして、
それ、自分目線ではなんだろう?と
ふとおもい、
あー、と、おもったのでアウトプットです。
「上」という言い方している時点で、何らかの「下」がある。
ということは、比較、か。
白黒思考か、と。
振り返ってみると、自分がそんなことを言ってたころは
自分の正義が相手に通じない、通らない怒り。
あと、劣等感(下)があるからだろうな〜というのは
なんとなくわかる。
実際、詰問調の押さえつける言い方の人って
いるけど、
見ていると、全然、えらい人(人格)ではない。
そういう人も、自分のやり方が通らない、
フラストレーションが強そうだと感じます。
よくわからないけど、なんらかの不平不満を
始終抱えているようにも見えます。
それが、劣等感なのか?コンプレックスなのかは
おはなししていないのでわからないけど
毛穴から吹き出ているものが、そんな感じ。
派遣のバイトに出ていて、
そういう人がいて(まぁふつうに)、
面と向かって、そういう人とやり合う人もいて、
やり合うこと自体が悪いわけでは
全然悪くないけど
たまたまかもしれないけど、
引き合う人は似た者同士(自我が強い)なのかな?と
思ってぼんやり見ていました。
(まさに、陰陽なのか?)
わたしは、どちらの人もあまり好きではなく、
だからといって
(これも現場で練習中なのですが)
だれに対しても、寄り添う必要も、入り込む必要も
自分の中で(興味がない人だから)
感じないなぁというのが、実は強く、
「こいつきら〜い」はあるので、
それは、生かしたまんまで、
ぼよーんとしていました。
だから、当たり前だけど(結果)
そういうひとには、好かれも嫌われもしないということが
よくわかりました。
まさに、スルー耐性というのは
こういうことなのかな?と
ちょっと思った。
(上とか下とかいう人に、感情は動いても
とくになびかないということ)
感覚的なことなので、伝わりにくい文章かと思います。
今後も、この手のことは
日常的にあることだと思うので、
揺り返しもたくさんあるかと思いますが、
(あばれる)
基本ベースは、経過観察でいきます。