人は死ぬ、つまりは終わりがこわい
それなのに、人は終わりのことばかり考える。どうしてだろ
もしも明日世界が終わったら
もしかしたら大きな病気になるかも
事故で死ぬかもしれない
突然大切な物が、大切な時間が
壊れてしまうかも
生きていることこそが、最大の苦しみ
生きていれば、絶望し挫折し怒りを知る。そのなかに与えられた幸福は少ない物で、だからこそ人は終わりを考える。
病は気からと言うように、考えなければ本当は終わらないかもしれないのに
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ななしさん
明日がわからないから、今を懸命に生きるのではないでしょうか。
…こんな偉そうなこと言ってるけど、私も死にたいというより消えたい、って思ってます笑
でも、生きてて損はないのではないでしょうか、
そんな気持ちが混合状態にやりながら暮らしてきます笑
別に、考えようが考えまいが
生まれてここにいる
この肉体自体のなかに、あらかじめ「死」が
含まれていて「生」ですよ〜
(生命として生まれ落ちた瞬間から)
なわけだから、
ああ、おはなと一緒ね〜
でおわりです。
どうせ死ぬ、じゃなくて
絶対死ぬんだから、じゃあ、せっかくなら
好きに生きたら〜?
おわり。
ってかんじかな?
養老孟司の
「自分は絶対死なないと思っている人へ」という
ほんがあるので、よかったらおすすめ。
ただね、早かれ遅かれみな、どこか同じ場所へは
旅立つとは思うけど
その、早い遅いの違いは
場合に寄っては、早い、側の人でさえ
関係性が密であればあるほど
悲しみは深いというのはあるので
(絶対とは言い切りませんが)
関係が密ということは、その状態のままで
失うということは
反面、失うときの苦しみも計り知れないほど
深い、ということなのでしょうね。
うまくいえないんだけど、これに関しては
その両面を受け入れてのみ、ひとつの関係を知ると
いうか、堪能(?)したと言えるのかなぁ?と。
語彙不足ですんません。ニュアンスだけ伝わるといいです。
チーズケーキ食って気分転換、どぞっ。
(自分が食べたいんだね・・)
ななしさん
逆。
受け入れることで苦しみはなくなる。
ななしさん
あるTV放送でやってた話なんだけどさ、
最近は〇子ちゃんって名前は少なくなってしまったけれども、そもそも〇子の子にどんな由来があるのかって話。
『子』を分解すると一と了になる。
つまり始まりの一と終了の了。
つまりは生まれてから死ぬまでの意。
愛子という名は一生愛に包まれことを願って
優子という名は一生優しさに包まれることを願って
〇子の中には親の願いが込めらてるんだとさ。
ようするに死ぬことを前提に人は生きてるってこと。
あなたがおっしゃるように、明日は誰にもわかりません。
だからこそ、今を大切に生きるべきではないでしょうか?
死ぬからこそ、好きなことして悔いは残したくありませんよね?
ですが、好きなことなら犯罪でもよいのか?って話になろうかと思いますが、ウマレカワリがあるならば罪は次回持ち越しになり、次回のハンデで生まれることになるから止めといた方がいいでしょう。
それに次回は人間でないかもしれません(笑)
死をも超越してしまえばこわくはないです。
人の死は終わりであり始まりです。
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