姉を亡くして今年で丸7年。早いなぁ。
看取った時のことは覚えている。段々薄れてもいる。けれど、忘れることはない。不意に思い出して、泣けることもある。
姉を亡くした時に思ったこと。
両親を送り出せるのは、遺された私しか居ない。
それができるなら、遺された家や仏壇を守れるなら、自分の生き方というか、そういうのは、どうでもいい。
どうでも、というより、頭に置かなくなった、というのか…。本当に、考えることがなかった。両親の葬式は、私があげるんだ、と。それが、21歳の時。
働いて、収入を得て、好きなものを食べて、好きな服を買って、好きな雑貨を買って、毎年一度ある趣味の大会に出て、時々友だちと遊んで、恋した人とはずっと一緒に居たい。けれど、結婚願望も出産願望もない。
ぼんやり、といえばぼんやりとした、漠然とした考え、なのか。
生きていく、自分の人生の目的……何のために、何をしたいか。何と向き合っているのか。何と、向き合うべきなのか。
私は28歳になる。
目的がなく、ボンヤリ生きているのだろうか。
そういう生き方は、受け入れてもらえないのだろうか…。自分で見つけるものだと、自分でしか見つけられないものだと、思っている。わたしは、どんな風に生きるべきなんだろう。熱意のない生き方は、物足りなく映るのだろうか…。
ななしさん
少し無責任なことを書く。
嫁ぐのではなくお婿さんに来てくれる人を選ぶ、ということもあると思う。色々見聞きすればいいと思う。
女性が結婚や出産を諦めるのは、なかなかつらいものがあると思う。今はそのショックを受けているのだろうと推察する。
家が続くことと家の血筋が続くこととは、必ずしも同じではない。あなたが結婚して子供が出来れば、あなたの家の血筋が続くということにはなる。あなたのお姉さんが心配するのもそのようなこともあると思う。尤もこのようなことはあなた自身が何度も考えて来たことだろうが。
あなたが幸せになることとあなたの両親を送ることのどちらをとるかは確かにあなた自身が決めることだ。ただ、あなたの文を見ていると、あなた自身がその選択に自信がないように感じる。同じことを考え、いつも同じ結論に達する、という感じかも知れない。あなたはそのことについて、両親ときちんと話をしただろうか。あなた自身の思いと両親の思いとをきちんと出し合って確認しただろうか。そしてそのように考えたあなたはあなた自身ときちんと向き合っただろうか。あなたはきちんと自分で納得しただろうか。
と、一応書いて見た。悩むのならば菩提寺の本尊に手を合わせて見るのもいいと思う。