名前のない小瓶
なんて・・なんて悲しい小瓶なんだっ!!
(あたしなら、ありえんっ!)
私事をボソボソ書いてもいいですか??
私は、先日、たくさんの愛情をもらいました。
それは一時的な、熱情なのかもしれないけど
的は外れているけど、すごく気持ちがうれしかった。
そう思ってるだけかもしれません。主観だし。
ひとりでがんばろうとしていた矢先だったので、
ぶーんと、引き戻されて、その中で溺れてしまった。
わかっていることは、自分は何かが見えなくなっているということ。
守られている、安心という
片側の優しい世界のなかで、溺れているということ。
そういうのが、幸福という価値観で生きている人もいるけど
私は、少しだけ違和感があって。
私には関係のないはなしで、その人のやりとりを
ぼんやり見ていた。
何にも変わらず、自分が知る限りの中での(狭い範囲ですが)
「相変わらず」な一刀両断な人で、
ショックで倒れそうになった。
(この人はこれが普通なのです)
ほぼ、往復ビンタされた気持ちです。
守ってくれると言う、優しい気持ちや、言葉より
わが道を行く、その人の振る舞い方、道の歩き方の方が
私に明らかに欠けているものを
体現しているというか、知らしめてくれたというか。
「ああ、甘くないんだ、この人は」って
変な話ですが、そっちの方を見て、
余計がんばらなきゃ!って、思いました。
人間としての釣り合いのことです。
この人も、この人自身の人生があるので
私は正直、そんなに待ってくれるとも思っていません。
おかしな話ですが、甘くない方のその人の面を見たからこそ
私は、この人が好きなんだということが
今日の昼、わかってしまいました。
ちっとも浮かれていないし、ちっとも幸せな気持ちでもないです。
胸がぎゅーぎゅーくるしいだけです。
小瓶とは何も関係ないけど、そういうのもあるよ
のはなし。