明日が命日の亡き祖父へ
私は今日まで大きな病気も怪我もなくのうのうと生きています。
今はもう社会人になり、無邪気だった頃に言っていた職業にほぼほぼ近い仕事をしています。
ゼロから始まった人間関係や全く知らない土地に慣れず苦労していますが、家族や地元で出来た恋人にメールで励まされつつなんとか二年目を迎えています。
私は幸せです。
幸せに生きてしまっています。
私は最低な人間なのに、です。
あなたは知りようがないのですが、あなたの死の間際、当時中学生だった私は最低だったのです。
今でもあの時の自分の思考回路が思い出されて気持ち悪くなって吐いてしまいます。
今でもそのときの自分が本当の私なのではないのかと思い頭が割れそうなくらい痛くなります。
あなたの遺品となった日記には私のことを自慢だと何度も何度も書いてありました。
血が繋がっていない私を孫として可愛がってくれました。
肩車されたこと、温泉に連れて行ってくれたこと、今はもう取り壊されたデパートによく連れて行ってくれたこと、初めての部活の試合に応援しに来て、その時のことを痴呆が進んだときも何回も話してくれたこと。
みんなみんな覚えています。
じいちゃん。ごめんなさい。
私もじいちゃんのことあのときも変わらず好きだったはずなのに。
ここには詳しいことを書けないけど、本当に本当にごめんなさい。
私はきっとこれからも普通に生きていきます。
ときにじいちゃんを思い出しては泣いたり吐いたり自傷したりすると思います。
いつかそちらに発つときは、私はどんな顔してたらいいんでしょう。
取り留めもなく書きましたが、これで終わりです。
もう何年も前のことだけど、毎年毎年思い出すんです。
ななしさん
申し訳ないと思う事って沢山ありますよね。
何て言ったら良いのか分からない申し訳なさと罪悪感。
自分が悪いけどもうどうしようも出来ません。おじいちゃん、おばあちゃんにも。
自分は大学に行けなくて、おじいちゃんが亡くなったずっと後に色んな荷物の整理をしていたら、たまたまその中から自分の大学入学祝いと書かれたプレゼントを見つけてしまい、そのプレゼントが用意されたのは自分が小学生や中学生の時くらいらしく、そんな前から自分が大学行くのお祝いしようと用意してくれてたのかと思うと申し訳なくてしょうがありませんでした。
おじいちゃんやおばあちゃんのそういう事を思い出すと、その事や今の自分と自分の現状を本当に申し訳なく感じます。