綿矢りささんの、「蹴りたい背中」読んだことある人いますか。
私はあの主人公と似ていて、
高校からは、
面白くない楽しくないときは笑わない(愛想笑いやめた)
自分がさみしいからって気も合わないような人と過ごさない
みたいな、とにかく上辺の付き合いをやめました。
友達はいますが、やっぱり人間関係の「量」は減りました。
心が死んだように疲れることはなくなったけど、
寂しさも正直増えました。
自分の今の生き方を気に入ってはいるけれど、
こうしない方がよかったのかなってたまに思います。
私はたぶん、寂しさを我慢する引き換えに、愛想笑いの苦しみから逃れたかったんです。
私みたいな人いますか?
正直に言うと、
なんだか誰かからとても肯定されたい気分です。
ななしさん
高校生のとき読みました!
冒頭の、「寂しさは鳴る」みたいな表現に引き込まれて読み始めたらどんどん主人公に共感していきました。
あの主人公も
友達がほとんどいないことを自分自身で認めていながらも、自分で選んだその状態を完全に受け入れてる訳でもなく、時々そのことを気にしている描写があり、その葛藤も物語の中の大きなテーマだと思います。
この小説に影響されてではないけど、
私も友達付き合いは深く狭く派で、友達は少ないです。
でもうわべの友達って何年かすると本当に連絡取らなくなるか、連絡取っても事務的な感じだったりするって実感してからはあんまり気にしなくなりました!
いちいち気ばっか使って自分の心が死ぬくらいならもっと自分を大切にしようと思えるようにもなりました。
だからといって親しい人以外を完全排除でなく、最低限の関わりと、
《来るもの拒まず去るもの追わず》をモットーにして生きてます!
お仲間だと思って勝手にお返事しました。
長文失礼します。
19歳女
ななしさん
蹴りたい背中、その作品読んだことがあります。
記憶は曖昧ですが、たしか主人公の女の子が男の子の背中を蹴りたいていう話でしたよね。
女の子は大人しめでクラスに馴染めてないというか馴染もうとしない子だったはずです。
人間関係に悩む時期に読んだ記憶があります。
当時、私は主人公の女の子ように生きる自信、勇気はないなと思ったと思います。
私から見れば女の子は意地っ張りで構ってほしがり屋。だからといってうわべの関係は作ろうとせず、孤独と戦っています。
凄く強い子。依存には負けない子。マイノリティ。
でも一方、逆な子も強いと思った。いつも笑ってて、顔に出さない強い子。その子もいつも笑ってても皆うわべの付き合いとかで寂しいて気持ちを思うことはあると思うよ。
その透明な嵐に混じらず、見つけだすんだ。
アニメ、ユリ熊嵐をご存じですかね?
そこに出てくる紅羽て子も同じような性格に近いような気がします。
だけど、優しさと傲慢を勘違いしてしまう。
ちなみにユリや性的なような描写が多いので抵抗あるなら調べたり見ない方がいいかと思います。
優しさと傲慢は違う。
愛想笑いと思いやりは違う。
素直と自己中は違う。
そこの境目は基準があるわけじゃないから難しいけどね。
生き方なんて決まってもなければ、正解もない。変えようと思えれば変えれる。
小瓶主さんがその時の好きな気に入った生き方をすればいいと思う。
私は今の小瓶主さんみたいな生き方は好き。