フェイスブックのフランス国旗のフィルターについて、みなさんのご意見をよかったら聞かせてください。
最初例のフィルターが実装されたのを見たとき、なんとなく違和感が拭えず利用しませんでした。友達やその友達ははかなり使っているようで、私のタイムラインは今もアイコンの変更のお知らせで賑わっています。
その後、なんとなくネットサーフィンをする中でいくつかの記事を読み、違和感の正体に気が付きました。シリアやアフガニスタンなど、今回のパリの事件を犠牲者数でははるかに上回る虐殺が今年だけでも数え切れないほど行われたのに関わらず、なぜ今回のテロにだけ、フェイスブックはフィルターの作成という形で動いたのかということでした。
ここからは私の考えです。
個人的には、その理由は私たちが世界をあちら側とこちら側に二分して見ているからだと思います。あちら側は、虐殺や内紛が当たり前に日々に行われている、我々の日常とはかけ離れた世界。たとえばシリアで、たとえばアフガニスタンで、たとえばウガンダです。そしてこちら側は欧米先進諸国、日本でありアメリカであり、そしてフランスもこちらに含まれるということが、ここでのミソだと考えます。
その、こちら側世界であるフランスのパリに、いわばあちら側世界のものであったテロが「侵入」してきたことが、これほどの衝撃を先進諸国に与えた理由だと思うのです。
思えば以前にシャルリ・エブドがテロの標的になった時も、日本では連日のニュースで大きく取り上げられました。フェイスブックでの「私はシャルリ」のムーブメントも記憶に新しいところです。ISの後藤さん殺害のときも同じです。これらに共通するのは、やはりこちら世界では一般に馴染みのないものとされるテロに、こちら側の人間が巻き込まれた、という先進諸国の共通心理ではないかと思うんです。この特異性がゆえに、今回のテロは多くの国で大々的に取り上げられ、世界中のいろんな建物はトリコロールカラーにライトアップされ、たくさんの人々がフェイスブックのアイコンをフランス色にしたのではないでしょうか?
数だけでいえば、犠牲者の数もテロの数もフランスの何百倍も多い国があります。でも、今回のテロほどテレビで取り上げられないし、建物のライトアップもされないし、フェイスブックにフィルターも作られません。私たちも、そういう地域のニュースを見る時はパリのニュースを見るほど真剣に危機感を募らせて見ることはあまりないのではないでしょうか?それは私たちが、そういう地域はどこか我々の住む世界とは別の場所のような気がしているからではないでしょうか?
私自身も、じぶんがそういう感覚を持って見ていることをはっきり自覚したのは今日が初めてです。ですが少しですが他の人の意見も読んで、自分なりにこのように考えてみて、あのフィルターを使うのは、全く悪いわけではないんだけど、少し安直ではないかと感じました。
長々と書いてしまい申し訳ありません。ですが、みなさんの意見も伺えたらと思い、前々から時々利用させていただいていた宛メに流すことにしました。私への批判でも構いません、よろしければみなさんの考えも聞かせてください。
かえさる