なんだか、心がもやもやするんだ
何でだろうと考えたときに
たぶん周りの人の影響が大きいと考える。
あまり、胸を張れる生き方をしてきてない僕。
それに比べて、ちゃんと自分の生き方を見つけて、それに向かって頑張ろうとしてる周りの人。
そんな周りの人がうらやましい
どうしたらそんなにかっこよくに生きられるの?
周りのひとだって、中学、高校の時に傷ついたのは知ってる。
僕に想像できないような痛みを抱えてきたのも聞いた限りでは知ってる。
そんな傷を乗り越えて、堂々と頑張ってる周りの人がうらやましい。
僕は小学生の時受けた傷でさえ乗り越えられてなくて、いまだって周りの人のことが怖いときがある。
そんな自分が情けなくなる。
僕はここにいていいのって無性に叫びたくなる時がある。
僕はまだここにいていいの?ちゃんと必要とされてる?邪魔じゃない?
友人に打ち明けようとしてもどうしても怖くなっちゃう。
この時点で友人を信用してない証拠じゃん。
悲しい
つらい
苦しい
いつになったら、僕は周りの人、友人のことを信じられるようになるのかな。
いつになったら、幼いころに受けた傷が癒えるのかな
ななしさん
昔の事についてはあんまり口出しせんけども、自分でどうするか、責任を負う事込みで決めて行ってみたらどうだろう。
例えば、友人を信用する。
信用するって中で、裏切られたとするなら、その時はその時で、自分なりに責任を取る。
ある程度後始末というか、その後その人とどうするのか、自分はどうしたいのか、その時考えることを心がけてみる、って決めとくとか。
その時自分が一番どうしたいのか。自分の中で、なにかをする事の優先順位はどうなのか。胸を張れる生き方とは何なのか。
そういう事を意識の片隅に置いておけば、少しくらい、後悔の減る生き方になるかもね。
自分の生き方、っていうか、その時その時の自分がどうしたいか、どうなったのか、じゃないの?それが生き様になるっていうのか。
傷を乗り越えたいなら、きっと傷と向き合う方法もある筈。だから、まあ、頑張ったり休んだりしてればそれなりにはなるさ。
うまくいかない事は多いと思うけど。
そもそも沢山の要素が組み合わさってる世の中で、一つの既に出来上がってる形を求めるのは、とても大変な事だと思うから、失敗しても仕方がない。
ダメな時は諦める事も大切な事だけど、出来る事なら失敗から少しでも何かを学んで、次に活かせる努力ができれば、ほんの少しうまく行く方向に近付けるかもしれない。
今は、存分にうらやましがって、何がそんなに羨ましいのか、何がそんなにかっこよく思えるのか、一体自分に何を求めているのか考えてみるのもいいかもね。
傷を乗り越える方法を見つけるための、原動力になるかもしれないしさ。