ふたつの自分がいて、
ひとつは、ひとりでいるときでも
いちばん楽で、こわごわ外に出してみたら
なんと、みなさまに、あいまでもらえる
まりちゃんねこ。
もう一つは、古傷とよばれる、
長年自分で当たり前の様に積み上げてきた思考。
自虐、日常。
おまんじゅうねこは、ひとがおはぎをくれても
ありがとう、とはいうけど、
「こんな人間に、なんかすんません」という
自分では「ふつ〜〜」なセリフが
実は、自虐を含む、余計なひと言
積み重なって、人格形成になる、とは・・
口癖が、ひとをつくるのか?!
おじいちゃん、こわいっ!
+++
きのう、バイトの初日でぎっくり腰になり、
そのまま就業していたのだが、からだを使う仕事なので
朝、起きれず、今回は断念。
こんな気持ちを持ちながら
(仕事の業種の問題じゃなかったのだ)
派遣の仕事はいやだ、と、講座で書いたら、
引き寄せた。(ぎっくり腰)
行きたかった演奏会のチケットも(sold out!)
欲しいなぁ〜とおもって、何も考えず
コメント欄に書きこんだら、数分後、
行けなくなった人から
しかも、ただでチケット譲ってもらって行けたり。
(これは、完全に引き寄せだろ・・)
ありがとうって、もらえばいいのだ。
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うすうすどころか、実際思っていたが
人の言葉も、感覚で理解(図とか)でないと
入っていかない。
理屈をゴリッと押し込める、テスト勉強みたいなのが
ほんと合わない。
(わかる、につながらないから)
自然なねこの状態のときと
(ホモセクシャル言語じゃないよ!)
不安になって他人の顔色を見てしまう時の私は
何がどう違うのか?
講座で習った図を、もう一度改めて書いてみた。
まりちゃんねこのとき、そこには「バツ」がない。
前後の計算という発想がないので
(これをしたら、こう思われるだろうの損得計算)
ないままつらつら、
出来事、でたまんま、良い悪いのジャッジがない。
やなら、ヤーネーって思うし、きら〜いっていうけど、
それも含めて「まる」。
いいもわるいも、みんなまる。
(抽象的ですまんね)
あ、いま、が、ポーン!と出てる時か!
(わー!)そそそ・・そうか!
他人の顔色見てしまうときは
なんと!自分が自分のダメを強引に探し出して
安心したがる。(長いあいだの癖)
なければ作ってでも、掘り起こしてでも
強引に「そういうこと」にして「バツ」をつけて
安心したいらしい。
ちっとも、しあわせでないのにね。
バツ(×)って「罰」のこと?
急にふと思ったけど。
違う言い回しにすれば、社会的道徳感
(最大公約数だね)で
これが良きことと言われるものだけを
かき集めて、それがわたしでーす!ってことに
したかったみたい。
気持ちはわかるが、それは人間じゃないし・・
この自分自身に悔しさを感じる感じ、
全く文字にはなっていない。
でも、訳の分かっている他人(これ重要)に
ズバッと指摘されて、
日に日に薄れていくけど、それでも
そのショック(とてもいい意味)は
わたしの中に残っている。
昨日も、バイトで無意識に、初めてその視点でいた。
全く、使わない回路とチャンネルで
見たいことないテレビ映像を見た、という感じ。
これが、自分にとって清濁併せ飲んだ状態なんだと
初めての体感。
途中から、古いやつが出て、グダグダになって
(ま、これもお約束らしい)現在に至る。
昨日、その不思議な映像を感じながら、
あのひともこのひとも、私から見ると
みな、ちゃんとして見えるけど、
もしかしたら、うんと、彼らも地道に日々、
その人の限界の範囲内だと思うけど
そう見える人というのは、両方合わせ飲みながら
でも、どっちもまる!と、逆流や向かい風の中
みたいな、一瞬先の見えない状態と知りながら
受け入れる抗い方(?)で
今日の、今、まで、来たという可能性も
大いにあるのではないか?と思った。
これまた、一瞬さらっと思ったことを言語化すると
文字数稼ぐぜ・・(ふー)
なんか、変な展開になってきているけど
間違ってはいないのはわかる。
だれかなんとかして〜
じゃねーよ!・・だったのだ。
バカだなー
ほんと・・
でも、自分でホントに気がつけなかった。
他人から見るとね。「すごく個性的」らしい。
(中学生以来だよ、このセリフ自分に使ったのって)
なんにもしてないのにね・・
一芸ないのに、って言ったら
これ、武器なんだって。
生きてる状態が。
ほら、ますます、本人は、わからない。
(まだ器用貧乏への憧れがあるから・・)
ようは、盛ったりしないで、そのままでいなさいとのこと。
途上中なので、中途の内容でおわります。
(にゃー!!*)
おたけび・・(あうう)
あ、生きてる状態そのものが武器。
これは、本来誰もがあてはまるんじゃないか?
普遍性、かと思う。