十代の頃からずっと、「一時停止したい」という気持ちがあった。
自分でもどういう意味で一時停止なのかわからないけど、漠然とそんな気持ちが端っこにあった。
電車に乗っている時によく思った。
眺める景色は次から次へと変わっていく。
その流れの中にいる自分は心地いい訳でもなく、かといって、とてつもなく苦しい訳でもなく、自分が活動をしていれば流れに乗ることは出来る。
なんで一時停止したいのか考えた。
この活動を止めてみたい。
でも流れに逸れるのは嫌だから、一時停止して、その間に自分は活動を止めたい。
何もしないでいたい。
その頃の自分は悩みだとか疲れだとか見ないふりしていた。
流れに乗れたのは自分の気持ちを無視していたからだ。
それが心の裏側で溜まった来ていた兆候だったのかもしれない。
親の離別でとうとう自分は動けなくなった。
自分だけの一時停止。流れから外れる。
今まで自分が手に持っていたと思っていた唯一の才能を使うことが嫌になった。
そうすると途端に何にも持っていない自分になった。
動けない間、生きる理由を考えていた。
人間が生きる理由は知らないし考えない。
でも自分が生きる理由は自分で作るしかない。
でも、正直何もしたくなかった。
生きたくも、死にたくもなかった。
でも、ある人の言葉で考え方が変わった。
「生きるのが理由でいいじゃん」
あぁ、そうか。
私達はいつのまにか「生きる」のが当たり前になっていてなんのために生きるのかという理由を求めずにはいられなくなっていた。
「生きる」のは目的だ。
「生きる」ために食べる。
「生きる」ために寝る。
「生きる」ために恋をする。
自分は生きていればもうそれでいい。
それが自分を光へ導いた。
自分はゆっくりと時間をかけて、もう一度自分を作り直した。
流れに乗らなくてはという気持ちも全くなくなった。
実際には流れから離れることは出来ない。
この流れというのは社会の事だ。
流れの中でも、自分のペースで進むということが出来るとわかった。
普通になろうとしなくていいんだということ。
価値観は人の数だけあるということ。
人の言っていることは例え大人だろうと割と大したことないということ。
逆に言葉の力は発するだけで大きな力を持つこと。
それから自分は自分の気持ちに熱心に耳を傾けるようにした。
だんだん、一時停止したいという気持ちは無くなっていた。
自分で休みたい時に休めるとわかったから。
流れから逸れても大丈夫だとわかったから。
大丈夫だと思えるのは自分の価値観を大事にしているから。
自分は誰かの役に立つ事も元々好きだ。
いつでも自分は出来ることに努めればいい。
自分がどう見られるかより、自分がどう見るかだ。
こう思わせてくれたのは、関わってくれたたくさんの人のおかげだ。
本当に些細な事が私の支えになった。
ここにきてる、「生きる」ことに懐疑的な人たちに、どうか自分の心に耳を傾けてほしい。
なんて言っているのか、それだけに集中して欲しい。
最初はなんて言っているのかわからなくてもいい、私もわからなかった。
そして、周りの人の優しさに鋭くなって欲しい。
レジで会うだけのコンビニ店員からにも、優しさは与えてもらってるということ。
あなたは生きていればそれでいい。
別に人間は皆大したこと出来ない生き物だ。
私たちは一人じゃ生きていけないくらいの弱さだ。
だから私はあなたが必要だ。
何も出来なくていい。
それだけで役に立っているのだから。
好きな人が生きていることが私の力になる。
どうか、それを忘れないで欲しい。
名前のない小瓶
44853通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
冬さん
私の駄文を噛み砕いて解釈いただいたメッセージを見て、改めて自分でもなるほど、と納得することができました。ありがとうございます。
今に生きてる。そうですね。
前までは過去に囚われたり、先に起こる出来事に恐怖を感じていたような生き方だったのが、今では悩んでも仕方ないと頭を休めることが出来るようになった気がします。
一緒にいるだけで安心したり、楽しいってことでもう私は恩恵を受けているっていうのを相手に伝えたいです。
ななしさん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
まりちゃんさん
すきと言ってもらえてすごく嬉しいです。
14013通目の小瓶拝見しました。
いい小瓶ですね。
私は動けなくなっていた間、ある人からずっとメールが来ていました。
その人はある教室の先生で、私とはそこまで深くない普通の師と生徒の関係でした。
でも通いに来ない私を心配して、メールを届けてくれました。
私はその時は行けてない罪悪感の気持ちが大きく、メールを返信するのにも数日かかっていました。
正直放っておいてとも思っていました。
それでも、その人は私の心のドアを叩き続けてくれたおかげで後々大きく人生を変えてくれました。
私は今、連絡を取れない人がいます。実の姉です。姉も親との確執があり、家族まとめて着信拒否をされました。それでも私は時間を置いてまたドアを叩き続けます。一人だと思わせないために。本当は心細くてしょうがないのを知っています。
ここ最近は特に宛てメで小瓶の返信をよくしています。もしかしたら私かもしれないし、私と似た人が他にもいるのかもしれません。でも私は恥ずかしがり屋なので、匿名じゃなかったらこのような文が書けません。
だからこれからもずっと匿名でいると思います。笑
早く桜が見たいですね!笑
冬
生きることが目的というのは、少なくとも過去にも未来にも自分を置いてないという意味で今を生きてることなんだろうなと思いました。
私の好きな人が、あなたが幸せになることは私にの幸せと言っていて、そういう意味での素敵な「エゴ」がわたしゃ好きだ。
だから何も出来なくてもそれだけで役に立っているあなたが私の力になるという主さんにとてもシンパシー。
ありがとう。忘れないよ。
まりちゃん
とっくに小瓶読んで、すぐお返事書いたけど
出さずじまいにしていたお返事です。
(私かなり多いんです、これでも)
だけど、お返事のお返事を読んで
あーこのひと、逃げなかったなぁ・・
偉いなぁ、すごいなぁと思って
やっぱ、送ります。
大した内容ではないけど、なにかは伝えたかった
気持ちで溢れるタイプなもんで・・
+++
14013通目という小瓶があり、
これは、わたしの宝物です。
あなたの小瓶を読んでいて、季節のせいだけではなく
非常に類似のニュアンスを感じました。
だから、あなたは、わたしのせんぱいです。
(深くおじぎ)
わたしも、このごろになってやっと降参しました。
他人の役に立つということは、行為として
するのすきです。
ありがとうほしさというよりは、
持っているものが役に立つこともあるかもしれないという
意味なんだけどね。
(もちろん、拒絶されたり、使えない時もあるさ)
アンパンマンが果敢にパンをちぎって
ひん死の人に手渡しても、
「ぼ・・ぼく、ごはん派なんです」
と、拒否られる可能性はあると思いますが
そこも込みでのことです。
主さん、いま、よその小瓶でもお返事書いている人かな?
あぁ・・いいなぁと思うというか
なんか、お人柄なのか、グッとくる物が多く
同じ人だったらいいなぁと
勝手に思っています。
わたしはあなたみたいなひと
好きです。
(男女どっちだかわからんけど)
いい春になるといいですね。
っていうか、すでにいい春だな!
ななしさん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
進まなくてもいいんです。
あなたにとってまだ進む時ではないんです。
私は二年かかりました。
また詳しく私の事を話すと、
その二年間ほとんど人との接触をせず、風呂や食事などの活動もままなりませんでした。
だから本当に私は少しずつ進みました。
しょうもないくらい少しずつです。
朝に起きる。歯を磨く。食事を作る。
皿を洗う。洗濯をする。お風呂に入る。
そんな事をするのがすごく大変なんです。同時に大事なんだと思います。
これが生きる活動です。
そんなところからはじめて、今ではとても行動的になりました。
小さなことでもきちんと達成していくことで、仕事なども前向きにできているような気がします。
生きる活動が自信になっていったんです。
辛いことが無くなることはないですが、自分を認められるとそれほど傷つかなくなりました。
他人から何を言われても自分を味方にすると強いです。
私もまだまだ未熟者ですが、この二年間があったおかげで私の人生は変わりました。
挫折は決して終わりじゃないです。
これを乗り越えると見える世界が変わります。
だから私はみんなと一緒に生きたいです。
見てくれてありがとうございました。
ななしさん
ありがとう。
ななしさん
進む君と、止まった僕。前に進めそうにも、進めない。苦しい。
ななしさん
ついていきたい。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。