昨日、心理講座のグループメールで揉めた。
わたしに、きゅんきゅんすると言ってくれた人に
冗談を書いたら、通じなかったようで、
意図しない受け取り方をされ、
誤解をさせてしまって、文字で尻拭いをして
もうつかれた・・。
わたし、文字、にがて。
その場にいたほうが、意思の疎通、簡単。
簡単じゃないときもあるけど、
まだ、真意は伝わりやすい。
悪意の有る無しや、本心かどうかも。
わたし、リアルでお話する時、
単語が飛び交う会話なので、
自分の意思をメールなど、文字にすると
組み立てないと行けないから、取りようによっては
理屈っぽく読める。
宛メでも、時々同じようなこと、いや
よくある。
一日中、あたまの中で小理屈こねてると
思ってたと言われたこともある。
(ひどい・・)
グループメールは、一斉メールでもあるので
講座二日間一緒だった人達は
わたしがある程度、どういう思考回路の人か知ってるので
影で爆笑していたらしい。
爆笑はどうでもいいけど、悪意がないという部分は
やはり、短期的とはいえ、一緒にいないと
伝わらないんだなぁと、まなぶくん。
でもね、グループメール、そのあと、
全部思うこと書いちゃった。
次回、四面楚歌だと思う。
あえて自分で、自爆した感もある。
嫌われるを、ちゃんと受け取らないと、他人がくれた
すき、の花束が受け取れないので。
(講座で習った)ふにおち。
宿題が出て、身近な家族さんにアンケートというのがあって
セックスについてまでの質問があり、
これは、聞く人答える人もバンバンジーだぜなのだが
わたしは、この思考回路をなんとかしたいの一心なので
やった!
やってよかったです。率直に答えてくれたのも
うれしかった。
わたしんちは、母子家庭なのでお母さんに聞いたんだけど
兄弟多い人なら、全員にしてみるといいと言われた。
わたしはよく、さかつめさん(いばや通信)のことを
ここにも書く。
なりたい人と言われたら、羽林さんやさかつめさんと言う。
前も書いたけど、同じ人を見ても、引っかかりがないひとには
ただの通行人だけど、
引っかかりを感じる時点でおなじ要素がある。
(好きも嫌いも同じ)
憧れの場合、先にその人がわたしの姿を体現して
目の前に見せてくれているだけだから
「あんな風になろう」なんて思わなくていいんだって。
すでに、そうなんだから。
だから、そうなんですもの、という顔をして生きればいいそうな。
(んまぁ)
お・・おれ、自分のこと、蛭子能収みたいだと思ってるんですが
(憧れてはいません)
さかつめさんのように、ひょうひょうとした背骨のある人
自分の弱さを受け入れているからこその、大きな人
イコール、まりちゃん!
という、ていで、生きていきますね。
お花や、お茶のお稽古みたいなもんかな?形から入って
やってるうちに気づくヤツ、と思ってたんですが、
すでに、家元なんです!・・のほうだったとは。
++
しかし、毎度よその人と、書き出したものをシェアするたび、
欲しい、なりたい、他人に求める物という質問に対し、
多くの人は、美しくなりたいとか、話し上手と思われたい
金、優遇、評価欲しいが多い。
こっちのほうが健全なんだろうか?
あたしは、全部、性格のことのみ。
清濁併せ飲んだ、しなやかさが欲しいとか、そんなのばっかり。
行き詰まっているのだなぁとつくづく思う。
他人のことは、やはりどうしても、
第一印象のビジュアルの好き嫌いはあるけど
それは5秒経てばどうでもいいことなので、
お話してみて知るものが、すべてです。
そう、恐ろしいくらい、中身しか見ないですわ。
差別してますよ。
だから、他人がどう生きていても他人事なので
どうでもいい。
自分自身が、自分の心に嘘をつかず(なるべくな)
物事を選択して行きたい。
上記のおねえさんには、それを教えてもらった。
複数でいてもたのしいね、ひとりでいてもたのしいね。
複数でいても、つまんね〜のときは、無理に入らず
ぽわーんとしてた。
おねえさんもたまたま同じことしてた。
だからって、場は、盛り上がりたい人達が勝手に盛り上がってるので
それなりにいいバランス。
崩れることもない。
わたし=さかつめさん(系の人)=ひょうひょうというのが
どうなんだろう?と思っていたが、
今回のグループは、こっち系の人が多く
どうしてわたしは、心に嘘はつきたくないの人達から
かわいがってもらえたのかというと、
存在給というのも、盛らない下げないありきでの
言動行動だから、ひょうひょうとルーツは同じで
心の出所は同じなんだ!・・と、帰ってから急に気がついた。
(わたしも常に、こころがほんとに感じることだけ
言いたかった、に軸を置いていたので)
知性がない出方(後者まるだし)だから、
類似には見えなかったけど
そういうことかもーと、思った。
そして、この数年、好きだなあと思う人は
皆同じ、背骨の人ですわ。
グループで、またタイプの違うひともいて
これもまた、存在給の方なんですが、
天然の女性のかわいらしさ満載の方で、
わたしは、こういうカトレアのような人もすきなんです。
すごく良くしてもらいました。
そうか、こころで生きてる人がわたしはすきなんだ。
シンパシーですね。
怖いものを許した時、たくさんもらっている
すき、のお花を、一本ずつ、こころから
心を込めて受け取れる、少しだけ
わたし、ちゃんとそれができるひとってこと
意識の片隅で知っている。
ずっと前から、知っている。
ありがとう、うれしいです、って
ちゃんと、わたしも自分のお花を
渡せると思う。
ふぁいとで、おー!です。