太宰治の「人間失格」。
恥ずかしながら、文学部の日本文学科を目指しているというのに私は、理由もなくいわゆる「純文学」を忌避してきた。
最近はそのような作品も意識的に手に取るようにしているが、なぜ私が太宰のこの作品に手を出したかというと、
たまたま読んだ本に、この「人間失格」が深く関わっていたので興味をそそられたというどこかに転がっていそうな理由からだ。
それでも、現文の先生が「太宰の人間失格は読んだ時の精神状態によっては自殺したくなるから注意ね(笑)」なんておっしゃってたから、
どんな絶望を見せてくれるのだろうかと正直わくわくしている自分がいた。
だから正直、期待はずれだった。
先述の「たまたま読んだ本」によってこの作品に勝手なイメージを抱いていたからかもしれない。
それでも、太宰が、隔離病棟という状況下で『人間、失格。』という言葉を使ったことが何よりも残念だった。
結局太宰も、作品の主人公も、世間や一般論や固定概念に囚われた、ちゃんとした人間じゃないか。
ただ。
他人の気持ちがわからない。
お道化ではないが顔色を伺ってへこへこしている。
なんとなく主人公に親近感を見出していたこともあって、主人公の末路には戒めのようなものを感じた。
教科書で「富嶽百景」を初めて読んだとき、私は太宰を嫌いだと思った。
あの陰々鬱々とした文章。
酔ったように自分の苦悩を描いた箇所。
同族嫌悪、と言ったら偉大な文豪に失礼だろうか。
自分を見ているようでなんだか癪に障った。
やっぱり太宰はいけ好かない。
「斜陽」は有名だし読んでおこうと思う。
それ以外はもう太宰の作品を手に取らないだろう。なんとなくそんな気がする。
それでもこれだけは、少し時間を置いてからもう一度読んでみたいと思う。
一度読んだだけでこんな風に書いてしまっては、短絡的だし、太宰を好きな人に怒られてしまいそうだけれど、なんとなく書き残しておきたい気持ちだったので。