届かない手紙だから、小瓶に流す。
雑踏の中で、孤独感でいっぱい
両足には身を支える力などない。
よろめきながら、
歩いても歩いてもこの気持ちは、
誰かに分け合ってほしいと願っても
それすらも叶わなくて。
少し時が経って、その願い自体が、少し歪んだ土台から来たものだと
気づくようになっても、その慟哭のような
銀色の寂しさはわたしの中にあって。
息を大きく吸って大きく吐くのが精一杯。
何も知らないなんて、冗談じゃない。
それこそ、わたしのこと何も知らないくせに
そんなふうには、言ってほしくない。
長い時間をかけて、ただ、今は、そう感じる頻度が
格段に減っただけのことだ。
その、寂しさの正体を暴いたからだ。
あなたがそれと同じ悲しみを持っていると言う時
わたしは、それがなんなのかは知っている。
だから、あなたが生きづらいというのなら
それはあなたが、肝心なものを放棄し続けているから
それを痛みと感じるんだよって、言い切る。
もしかしたら、あなたも
プラスと呼ばれるものだけで
この世を回していきたかった、
自分の血は、そういうものだけで構成されていたいと
思っていたのではないだろうか?
そして、その血で生きるからこそ、
知恵と努力と、勇気があれば
欲しいものは大抵手に入れられると思っていたのでは
ないだろうか?
それ、ないです。(言い切る)
たらればだから、違っていたらごめん。
外側にあるものに価値があると、思いたければ
思えばいい。
自己欺瞞は、心身を滅ぼす。
そんな自分もある、と認めた上で
ふと浮かぶものがあれば、それがなんてことない、
今の自分の求めるものだ。
ワクワク笑うこどもの顔が、内蔵を飛び越えて
口から飛び出してきたら
きっと、ほんもの。
好きに走ればいい。
そっちののんびりとした生き方経由で、
あれほど手にしたくてたまらなかったものを
さらに上回るものを手にすることもある。
未知なる世界、でも、ほんとにある話。
もうあんな笑顔、しなくてもいい。
不機嫌をばらまいたって
意外とね、許してくれる人はいるもんなんだよ。
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みんながうらやましがるものを手にしても
大事に出来ないのはなぜでしょう?
所有しているものを手放したくないと、
執着するのはなぜでしょう?
だけど、こころが乾いて、
何かを欲しがってしまうのはなぜでしょう?
『安心と自由、のはき違え』。
しかし、反省込みで、または他人を見ても
往々にして、外側にあるものを多く手にしたがる人は
自分を無価値だと思う傾向が強いと思う。
無価値だからアタマの周りに宝石だらけの冠をつけたがる。
安心って、ほんとはそれじゃないこと自体
まだわかんないのかな?と思うのもほんと。
あたし、気づくの遅すぎだから、このくだりは老婆心。
人生って短いからさ。タイムリミットあるし。
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僕が、わたしが、何の気なしにしたことが
誰かの心をほころばせたり、
ふと、思いついた小さなアイデアに喜ばれることもある。
そんな自分は、過小評価して、脇に追いやるから
なにもないなにもないって、今日も泣くんだ。
ただ、ベンチに座ってボーッとしてる姿を見るだけでも
誰かはあなたに癒されているかもしれないなんて
きっと夢にも思わないのだろう。
それより何より、別に、ありがとうや、笑顔がなくても
ブスッとしてても、悪口全開でも
人に嫌われたって、
それ、出したって、存在給あるんだから
増えも減りもしない。どこ吹く風でいいんです。
私の陥りやすい罠は、未来の不安。
すぐ引っかかって血だらけになって泣く。
かさぶたの数だけ、思うこともあって
今は、ゴール設定をしてそこへ向かう生き方を
放棄する方向で生きている。
いつかの私と、とてもよく似た言葉を
「今」、紡ぐ人がいても
それは、わたしじゃない。
よその人です。自意識過剰やめてね。
わたしは、誰のことも、なにも、追わない。
あなたを追うことも、多分ない。
だから、牽制みたいなこと
最後にいつも、付け足すの、やめてね。