私は。
死にたがりじゃなくて、死んで当たり前の人間だと思ってます。
むしろ早く死んだほうが世のため人のため誰かのためになるんだと思って死ぬことが私の運命であり、死ぬことが生まれた役割だと思ってます本当です。
私が死なないと、困る人は沢山いますし。
私が生きてると不愉快な思いをする人もたくさんいます。
私が生きていることで喜んでくれる人たちを優先しろ、と言われるけども。
優先したその人たちは誰も私に死ねという人たちからは守ってくれないし、もとより本当に私に生きててほしい人なんていないんですから、当たり前なんですけどね。
死ぬっていうと、そんなことやめろって無責任に正義ヅラで止めようとするのが人間ですが。
生きていて迷惑しかかけていなく、友達もいない、恋人もいない、家族もそのうちみんないなくなってしまう、何もない誰もいない、天涯孤独の浮浪者になっても生きろっていうんですか。
そこから這い上がる道はあるとか希望は捨てなければあるとか、諦めなければとか簡単に言えますし示唆するのは簡単でしょうけど。
それは万人にできることですか?
私の希望も意見も声も心も想いもやりたかったこともすべて、他人のおもちゃと土台にされて、踏みつけられて好きにいじられてしか生きさせてもらえない人間が、せめて自分を助け出すために死ぬことは、ダメなんですか?どうしてですか?
使い勝手のいいオモチャが減るからですよね。
早く、早く、この命を終わらせないと。
たくさんたくさん薬を飲んでたくさんたくさん薬ばかり飲んで体を壊して、人生にさよならしないと。それが私の役目だから。私の役目は人のために死ぬこと。
ななしさん
人は皆が死に向かい、死に方を選ぶために生きているのに差異はありません。
そう、貴方が言う通り、万人が望む死に方が出来る訳ではありません。
それも事実。
人は生き方も死に方も、その時々で妥協しなければならないのでしょうね。
天涯孤独の浮浪者の私も同じです。
しかし、私は恵まれているのでしょうね、死に方を選ぶ事が出来たから。
生きる事に日々全力を使うと、苦しいだけの毎日だよね。
私は運良く、日々の生活に困らないから、自分の死に場所や、死に方を探す事が出来たんだよ。
そしたら、皆の辛さが見えて来て、簡単に死ぬのもつまらなくなったんだ。
多分、万人が出来る事ではないんだろうけど
、貴方が言う天涯孤独の浮浪者として社会との関係を断ち、旅を続けていたら見えて来たんだ。
死ぬ事は命を断つ事ではなく、社会との関係を断つ事なんだって。
死に場所探しの旅ですが、今の私が一番生命力に溢れているんだろうなと感じます。
上手く言えないのですが、死ぬ覚悟の向こう側に生きる本質があるよ。
目を閉じて感じてみて下さい。