前から読んで知っていたのに今やっとわかるようになったんです。
この言葉にピンときた人に贈ります。
47256通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
うまく言えないけど、なんか腑に落ちる
冬
(小瓶主)
久々に流した小瓶が還ってきてふと思った事を書きます。
私は最近読み直している「バガボンド」32巻で幼少期の武蔵が、自分の手を見ながら「なんでこの形?」と言うシーンが、まさに人は器だと感じております。
命だけではいろんな体験はできません。良いも悪いも嫌も嫌じゃないものも人という器あってのもの。ですから、誤解覚悟で言えば「その苦しみその悲しみも、器であるあなたが感じているもので、実は実体としてのあなたはいない」のが答だろうと思ってます。ただこれも完全に腑に落ちてはおりません。まだ頭の中の言葉遊びだろうな。腑に落ちたら悟りですね。うむ、遠いな(笑)
でも時にはゲーム感覚でこれはクリアするための遊びだくらいで事に当たるのは大切かと思います。
先の「バガボンド」では同じ巻に「笑え、武蔵」とも出ています。
先日ヨガで聞いた言葉。
「口角を上げると、笑いを思い出す」
楽しくなくても笑うというのは、その形から入ってでさえ、楽しいという事を思い出す作用があるとのこと。真面目な人こそそこが大事かなと思いました。以上です。
冬
(小瓶主)
10通目さん
お返事ありがとうございます。
このわかりにくい言葉の意味を、お一人おひとりが考えて理解しようとなさることがすごいなあとは思います。新たな私が生まれる、というのも素敵ですね。まっさらでピュアな感じがしました。
おっしゃる通り私たちの中に答はあって、小さい時からそれは出したらいけないとか我慢が大事とか言われ過ぎたことも、実はそうじゃないんじゃない?と気づくこと、それが生きることと呼応しているんですね、きっと。
答を取り戻すと、透明な感覚になるのかもしれませんね。うーん、素敵!
ちいさな小瓶
ずいぶん前に この小瓶と出会ったのですが、
最近
ふいにこのことばが浮かびあがってきて
あ、なんとなくわかった
そんな瞬間がありました。
いろいろなひとやことばと出会いながら いのち は私を生きている、駆け抜けてゆく。ふれるたびに 私 がうまれる。
ほんとうはずっと昔から きっと知っていたことを、ひとつづつみつける長い旅 こそが このいのち。
うまくまとまらないのですが、
ことばにするならばそういう感じ、
「わかった」ときの じぶん がすうっと透明になったような感覚のなかで、そんなことを思いました。
冬
(小瓶主)
鳥羽さん
お返事有難く。
人と人の間の命をどのように思っておられるのかわかりました。私はなんとなく、文字通り人と人との間に燦然と輝く命がある(存在する)と言われているのかなと思ったのでお聞きしました。
そうではありませんね。了解です。
仰る通りだと思います。
私は一人では私を理解できません。他者があって初めて私がわかります。だから命は他から学ぶ、のですね。
鳥羽さんは私よりも命を別のところから見ておられると思いました。立体的ですね。
取り急ぎまず解説の御礼まで。
烏羽
えー解説ですね、はい。
赤子の頃には誰しも自分が生きているなどと思いはしないと思います。当たり前故に、そして人としての知識のなさ故に、自分に命があるなんて事は。
しかし、大きくなるにつれ、何かに出会う事を繰り返し、様々な事を知り、例えば一人でない事を知り、又一人である事を知り、曖昧の中ではあっても自覚を伴って、明確にものことを、頭と心で作り上げていく。
個人的に知る、解る、学ぶ、などなどは、自分の中で概念のようなものを作り上げ、後に加えたり削ったりもしながら、起きた事象と結び付ける事だと考えています。
命は、自分の持っているものですが、それを自覚出来るのは他者が居た故であって、生きるというのは、大まかに言えば自分以外の世界と関わる事だと思います。
その上で、命を他から学ぶ。
もうこれは、なんていうか命と、それに付随した概念のようなものが、他と交わり、今後他と生きていくという事だと思います。
あるいは、漫画とかの主人公のセリフによくあったりしますが、故人になってしまっても「そこにいる」んですね。(自分の大切にしたい)過去の人達やものことが。
確かに命は自分の感覚ではあります。
けどまあ、なんかあるじゃないですか、命は自分のものであって自分のものでないみたいな言葉。
この言葉、すごく誤解されやすい言葉だとは思うんですが、これに近いかなって。
感覚的なもんなので明確にはし辛いのですが、こんなんで解るでしょうか。
ちょっと読解力がないので、申し訳ないのですが、良し悪し、悪しは向上心がないとかは解んなかったです。
レインボーブリッジ封鎖できませんの奴は、あれですね、ありのままの自分から湧き上がる気持ちというか、そういうものに対して、今まで出来上がってきた既存の自分が難色等を示した時、やっぱりもとの自分を完全には止められない時がある、みたいな。
あー、少し、行き過ぎた自分の思いを混ぜた解釈で考えてしまっていたかもしれませんが、出来るかどうかは別、という所の言葉に反応して、止められない時もあるという考えを含めて、俺もそこらへん気を付けよう思って書きました。
言葉が足りなかったというか、まだ上手く言語化出来てないんですね、これ。
それで、上手く止められない事に関しては俺、もともと綺麗に折り合いが着くというか、ちゃんと付けられる、止められるものではないと思っていて、心と考えのどちらを、その時々に優先するかというだけだと思いますかね。
倫理やら道義やら大事な守る事があるにしても、本質としてただ、そのどちらかが優先されたかというだけで、それにはいい悪いもなく。
そして、あれこれ後から思う事、(結果的には思う事があるでしょうけど)つまりそもそも選ぶ事にも良い悪いは存在出来ないというか。
同じく自分の中のありのままへ、そのまま良し悪しを付ける事は出来ないと勝手に思ってまして、その、もとの自分が自他共中での気持ちや概念の中、その上でどう動いたか、どう感じたかによって、その後に良し悪しを(ぜぇぜぇ…)、各々が考えられるというか。(ふぅ)
実際には、いい悪いじゃなく、困る事、過去困った事やらから嫌に思う事やら、楽しい事、楽しかった事やらから、良いと思う事やら、過去と未来を合わせ見て、そんな風に感じたものだらけかと思ってます。(※これも、単なる事象であって良い悪【以下略】)
くどいようですが、その後に良し悪しを付ける事自体にも、その行為自体には良し悪しを求められるものではないというか。
良い悪い、ということ自体にも、もともと良し悪しは無い、最初から付いてない、という考え方と言うか。
その考え自体にも(←黙らっしゃい)
こんな風に枠を外しまくると、いろんな事がいいのか悪いのか訳解らんようになるんですよね(笑)
ある意味、判る(判断、判別)ようになる為の先駆けにもなると、思うには思うんですが、落ち着くまでめんどい。
めんどかったので、そこを超えた(のでは?)と思われるその過程が、面白そうだと思ったんですかな。
…上手くスルーしてたら、引っ張り出してしまいごめんなさい(苦笑)
で、途轍もなく長くなりました上、まだ続くんですがね…。
ややお節介になってしまいますが、いわばそんな感じの各々が持つイメージであれ、考えの順序上、そこを解っている上で、良し悪しを判断する事にはなんも悪いと思いません。
冬さんは自分をある程度見れている上のジャッジだと思うんで、自分で言う分には阿保で良いんじゃないかと。向上に繋がる訳だし。
本当の意味で、自分に対しての嫌味にはならないと思いますし。
自分的には「遊びをせんと生まれけむ、戯れせんとや生まれけん。子供なんたら」(初めて知りました)
の言葉は、幼い頃からあったものは別になくなってる訳でもなんでもなく、寧ろ沢山素晴らしいものを元々持って生まれてきて、それを活かしたり外から何かしら貰って、付け足してみたりして(ありのままの部分はマイナスで削られる事もなくて、もしあるとすればマイナスをくっ付けてるだけ)生きているだけだから、子供に反響するように遊びたくなったんじゃないかと思いました。(芯に響く感じ?)
要約すると、なんか大人になるにつれ穢れていくとかなんとか言われたりもしますが、純粋な本質が穢れたというようには思えないんですよね。ただ見方が広がったり、付け加えたものが多くなって、見え辛くなっただけではないかと。
残念ながら、今となっては読み人の真意を知る事は出来ないので、どう思って読んでいたかは憶測でしか解りませんが。(それも又味わいがある)
そこから言うと(実は↑、前置きでもある)、本の内容は解らんのですが、当たり前が覆されているというより、案外人間という生物的な根本に、いろんな視点等の新たななにかを持って、振り返り立ち返りしてるだけなんじゃないかと思ったりします。
そして、その纏まりすら、何度も起こっているだけなんじゃないかとも。(倒置法的だけど、深い意味はなく、ただそれだけ)
余談ですが(さらに長くなる事をお詫び申し上げます苦笑)
本当に腑に落ちるというものは自分の、何かこう、芯の部分に関わっている(場合もある)気がしてまして、その芯を大切にしようという心意気で、各々のまこと(漢字多数のいろんな意)で向き合って、大きく、太く、ある時は細やかに、ある時は大らかに、丈夫に、真っ直ぐに、捻りまくって、堅牢に、柔軟に、研ぎ澄ませたり、形(ニュアンス)やら鋭さやら硬さやら柔らかさやらのため、あえて脆くしたり、そこから更に新しくしたり、あれこれなんかすると、まあ変な境地にたどり着くんじゃないですかなあ(棒読み)
いい意味で果てしなく個性的になるというか、同じく果てしなくふつう(普と不の2つの意味で。)になるというか。
まあ悪い意味で個性的になれば、それは自分のやってきた鍛えに何かしら問題がある、という可能性も。(見直すチャンスだわな)
…もし冬さんがするという事になったというなら、多分心配いらないと思いますが。
とはいえ、それが人生の1つの醍醐味ではないのかとも思いますかね。
もともと、いいものを意識しようがしまいが、目指そうが目指すまいが、今も気絶して意識がないとかでない限りほぼ全ての人がやってきて、進行形でやっている事だと思いますし。
…確か、前もどっかでこんな事を言っていたような気もしますが。
成長の定義についてはまだ、よく考える程材料が揃ってないと感じているので今はわからんの一言に付きますが、ある意味同じような事を言っていたのに気付けたのも成長出来たという事かもしれませんね。
…という今までの全てのくだりを考え書いた事も、これから誰かが読んで何か思うかもしれないであろう事も、それこそが、命が間にあるという事だと思うんです(しれっと言い放つ)
冬さんなりの気付きがあるといいですね。ぬはははは!(←間抜け笑い)
冬
(小瓶主)
鳥羽さん、お返事ありがとうございます。
私は命の感覚って自分なので、人と人の間にあるという新たな言葉にほうっ!っと思いました。とても興味を魅かれています。もし宜しければ少し解説して頂けますと嬉しいです。
ありのままの自分、それを良し悪しで意味づけるとしたら(ジャッジするとしたら)悪しは向上心がないよね~とか良く変化してないよね~ってことでしょうか。
私はバリバリにジャッジメントする人なんですよ、実は。こんな自分で良いのか?!もっと成長せねば!とかね。
ははは~、阿保だ。やってますがそれは阿保だと思ってます。
気付くということが私の成長の定義です。何かが出来るようになることではありません。出来ないと言えることも、結果を出せないと分かることも成長だと思います。
多くの人が「当たり前」と思っている生活感覚は今から通用しなくなると思っています。年収100万で楽しく生きて行ける方法という本まで出ている時代です。良い時代ですなあ。だったら梁塵秘抄の「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん」でいいのでは。
ただこれもまだマインドに留まり、腑に落ちていないのが残念ですが。
烏羽
そっか。
そうかそうか。
どっかで冬さんが模索中のような言葉を言われていたかと思うんですがね。
悟りの意味。自分の内側の、自分の場所。
そういうのが、体感で解った、解ってきた、あるいは、もうそこにあるんじゃないかなあと、勝手ながら思いますかね。
もう判っている事、知っている事かもしれませんが、命は人と人との隙間という側面もある、と考えてますので。
そういった言葉の中に含まれるものと、通じるものがあるような気がして。
やっぱ面白もんだと感じました。
それに、まさに命と踊られているのだなあというか。
いやあ、実に面白い(ガリレオ雅治ボイス)
仰られるように時にはレインボーブリッジ封鎖出来ない事(とてもふざけた比喩)もあるんですが、俺も改めて気を付けよう、気を遣いたいと思いました。(読返事感想文)
…まあ実の所しつこく面白いと書いたのは、枠を外しすぎると、それはそれで今までの自分がいなくなって、いい意味も悪い意味も込みでありのままの自分でしかなくなると思っているんですが、冬さんはそこを超えてこられた人、何かいい場所へ着地できた人なんじゃねーかなーと。
それが趣が深い、快く楽しい、と思うわけですなはははは。
冬
(小瓶主)
お返事がつくとは思わなかったので、びっくりしてます。ありがとうございます。
解釈が正誤かどうかはどーでもいいんです。
前はちんぷんかんぷんだったのが、あ、もしかしてそういうこと?そーか、そーかと感じられたその喜び。それに尽きます。私はとても浅はかなのですテヘペロ。
私が苦しんでる、私が悲しんでる、私が喜んでるんじゃない。大きな捉えきれない命の流れの中で(ワンネスとかビッグスピリッツとか「神」とか「仏」とか、まあなんでもいいです)私という器はそれらを感じたがってる。うん、器に過ぎない私。でもそのお気楽さったらないよー。
なんとなくそう思ったら、しがらみという鎖だって自分の栄養分として吸収出来る気になっちゃったわけです。(出来るかどうかは別よ。でも気は大事)
枠は自分が創ってるんだぜ、だから外すのは自分側にあるってことなんだなぁってのが、やっぱそうかーと。
そゆこと?!ってピンと来る人には来る。(来なくても全然平気よ)
どーせなら生きるなら、七面倒なことは止めて踊るぜいっっ!
烏羽
今、人生という一生。命があなたに(を)生きて、存在して、居る。
…という解釈をしてみました。
いややっぱり、あえて書かない方がよかったかもしれん。
という思いをしつつも、運営さんに返事の掲載を委ねる始末(苦笑)
いやあ、まあ嫌な面も目につく事がありますが、言葉って面白いですね。
ななしさん
たった一つの真意は後の解釈によって細胞分裂を繰り返す。
宗教が枝分かれする所以。
言葉の軽重深浅。
深海300メートルの意味もあれば2000メートルの意味もある。
わかるとは解釈であり段階。
真意は一番深いところにある。
その深さは私達の計り知れないところ。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。