矛盾の小瓶。
自愛できるようになると決めた。
ただ、そのために自分の中の価値観を変えるというか、
縛りを解かなくてはならないことに気づいた。
中学2年生の時に、先生に言われた。
「プライドを捨てろ」
当時、心身的不調の真っ只中にいた私は、
自己肯定感がかなり低い状態にあった。
そこにこの言葉。
あの時、私は自尊心を捨てた。
私の特技は卑下と自虐。
やれと言われたら、躊躇いなく土下座ができる。
下品な言葉を投げつけられても、通常運転くるくる。
馬鹿にされたら、にっこり肯定。
根も葉もない噂も笑って受けとめて。
うん、私馬鹿だもん。
気持ち悪いよねクズだよね。
知ってる知ってる。
え、尻軽じゃないよ!?本当だってば~
生きてることに土下座?
解った、すみませんでしたー!
お道化、お道化。
全身に痣ができたような。
痛い。
でも、プライドを捨てろと言われたから。
本当はわかっている。
先生は、頼ることができなかった私に、
くだらないプライドを捨ててまわりに頼りなさいとおっしゃった。
でも、先生。
私、プライドなんて
その時はもう、ほとんどなかったんです。
まわりが頼らせてくれなかった。
本当はそんなことないのかもしれない。
けれど私には、
頼らせてくれるように見えなかった。
だから頼れなかった。
手元の仕事でいっぱいいっぱいになって、
ミスを連発した。
とても激しく非難された。怒られた。
当然だ。
行事をめちゃくちゃにするところだった。
全校生徒600人以上の思い出となる出来事を台無しにところだった。
微かなプライドが、
もしそのミスの原因だったとしたら、
プライドを捨てて、行事が成功するのなら、
それでよかった。
私の心の中にある、私を守る感情を
全部捨てると決めた。
行事は何とか成功した。
あれから3年。
私はまだあの言葉に縛られている。
先生のせいじゃない。
他のメンバーのせいでもない。
私がすべて悪かった。
自愛するためにはこの呪縛を解かなくてはならない。
けれどそれが正解なのか、わからない。
これは、戒めであり、罰であるような気がする。
幸せになりたい。
そう思う反面、中学での出来事(先述したことだけでなく、他にも色々)から
幸せになってはいけないとも思っている。
もしこれが他人の出来事だったら、
過去に囚われないで幸せになればいいのに、
罰だなんて馬鹿げている、
と思うのだろうけれど、
自分のことだと途端にその選択肢が排除されるのは何故だろう。
「自分に価値はない」という趣旨の小瓶を見て、もやもやしてしまう自分の気持ちのヒントは、
ここに隠されているのかもしれない、
なんて。
向き合わなければならない。
僕は、僕に。
この冬を越えたら、きっと、
少し強くなれると信じている。
明日はセンター模試があるから、
もう眠らなくちゃ。
名前のない小瓶
こんにちは。毎日、お疲れさまです。
分かります。自分を置き去りに事を進める方が周りに迷惑をかけなくて、何かと楽ですよね。でも、心は全く楽じゃない。
私は、学校の先生と良くない関係を築いてしまったことがあります。それは、誰にも言えなかった自己嫌悪を、その先生にだけは吐き出すことができ、その嬉しさからどんどん先生に依存してしまった為です。
その結果、警察沙汰にまでなりました。
正直、もう無理だとも思ったし、本当に私は生きていてはいけないんだな、と深く感じた瞬間でもありました。
ですが、一ヶ月前ほどでしょうか。
保険の授業で、こんなことを教わりました。
「人は上手くいかないことに直面すると、誰かのせいにしたり、自責の念にかられることがある。が、どちらにしても、自分が今後それにチャレンジして傷つくことを恐れ、自己防衛をしようと脳が考えた結果の行動なのだ。」
正直、は?って思いました。
じゃあ、今まで私が悩んできた自己嫌悪は、結果的に自分を守るためにやっていたのか、と。私が今まで周りの人に迷惑をかけないように過ごしてきた日常は、結果的に悩みから逃げていた、ということになるのか、と。
ですがそれと同時に、「あぁ、そう考えればいいんだ」とも思ったのです。
私は自己嫌悪をしない。なぜなら、それは逃げだからだ、と。
勿論、あなたがこんな正論を聞くためにこの小瓶を流したわけではないというのは重々承知しております。
ですので、この文章に不満を覚えたのであれば、この文章を全て忘れ、生活していただければ嬉しいです。
ですが、あなたが少しでもこの考えに興味を持ったのなら,,,
嬉しい限りです。
勿論、すぐに実行することは難しいと思います。
お互い少しずつ前を向けるようになるといいですね。
では、失礼しました。