烏羽
衝動も積み重ねというアップデートで和らいだり、抗いやすくなるんじゃないかな。
…衝動自体がそうであったようにね。
どうにも出来ないという思いが道を塞いでいることもあるかもしれないよ。
機械が人間の技術で参加して、人間と肩を並べるような日が来たとしても、多分人は機械の知性を狂気と思うだろうし、機械は機械で人の知性を狂気と思う…かもしれない。
違うものは違う。似たようなものはある。
人は自分一人で自分自身の事を完全に知る事が出来ない。かと言って、誰かがいれば完全に知る事が出来る訳でもない。
同じ人間同士であったとしてもそうだ。似通ったもののある生き物同士であってもそうだ。
親と子でもそうだ。
それは争いや諍いを産んだりもした。
共感を産んだりもした。
人は道具を使う。
扱いきれない道具を、身に余る道具を持った時人は滅びの道を行く。
それは人だけではなく、人の手で生まれた機械も変わりないかもしれない。
…そう書くとまあ同じようにも思えるだろうけどね。
機械である事、生き物である事、それ自体がもう違う。
機械を生み出せた人間に、機械と同じようなものがあってもおかしくはないが、どれだけ行っても機械に人間と同じ中身は期待できない。
やれる事が似ているとしても、行うものが異なるなら、それは違う事だと思うよ。
同じだと思うのなら、同じに限りなく近づいて行くのかもしれないけれども。
機械に人間と同じ中身が期待できない、なんて書いてはいるが、言わば個人の尊重のような話だしな。
みんなそうだ。自分の中の全てで、他人や物事を確実に推し量れる訳じゃない。
とにかく、人間にはそういう力がある。
永遠に成長出来る能力がある。のかもしれないな。
それも、信じる事、思う事なんかの力かもしれんが。
多分機械には理解できん力かもな。
人間さえはっきり理解できんのだから。
…それに関して強いていうのなら、扱う事、使う事ではなく、共にあろうとする事が大事なのかもしれん。
人間なりに付き合い方を学ぼうとする、という事が。
さて、機械は見えないものを信じられるのかどうか。
…ぶっちゃけ、意味深な事を言ってみたくなっただけなんで、真に受けないでね。
俺も大して知らんし。