職場で、一々癪にさわる言い方をする主婦Aさんがいる。
なぜ私をそういう人間にしたいんだろうか。
私は間違っているのだろうか。
普通の人は、嫌だなぁと思う人がいても、スルーして場を穏便に済ますのだろうか。それが大人なのだろうか。なら私はいつまでも子供なのだろうか。
陰口を言いたくてネタを投下するのは大体Aさんだ。陰口を言うことで、自分のことを話したがっている。自分のことを話すために標的を探している。
人は誰も、他人のことの全てを理解することはできない。だから苦手な人がいることは当たり前のことだと思う。苦手な人には自分から近づかないようにすればいい。
でもAさんは自分から話しかける。それも、「私だけは味方よ」とでも言いそうな優しい笑顔で話しかける。私はそれが嫌だ。ずるいと思うし残酷だと思う。
皆の前でAさんに私しか気づかない程度の意地悪を言われるとつい突っ掛かるような返事をしてしまう。
「私には無理に話しかけないで大丈夫です」という意思表示であり自己防衛でもある。
優しい顔を見たくない。
だから、皆に厄介者と思われているのは私の方だ。Aさんは皆にとって優しくて綺麗で天然なお母さんなのだから。気づいているのは私だけなのか。私だけがこんなにも嫌だ嫌だと思っているのか。
Aさんのように美しい顔をしていても、陰口を言っているときはあんなにも醜いと思うのは私だけか。半世紀近く生きてきて、それが間違っていると示す人間は周りにいなかったのか。それはおかしなことだ。だから私のような人間に出くわしてもおかしくはない。私のような人間がいてもおかしいことではない。
私は私にとって間違っていることを間違っていると思っている。
そう思うこと自体が根本的に間違っていることは分かる。人の問題を自分の問題のように考えてしまっている。人は人。自分は自分。私がこんな風にぐるぐる考えていることがおかしい。
それなのに、やめられない。思考が止まらない。明日もまた職場に行って繰り返し考えてしまう。どうすればいいんだろう。