日々を記す
何度始めようと思いなおしても、「日記帳」と題したノートが、最後まで埋まることはなかった。
もともと、書こうと思ってかけるタイプではないのである。
だから、毎日の終わりに縛られて、鉛筆を持つことが習慣になるはずもない。
でも、ゆらぎのある日、「ああ今日のなんでもない1日を、どうか未来に残しておきたい」と思ってしまう。
誰かが言っていた。
今「当たり前だ」と思っている習慣は、ずっと続いていくものではない、と。
そう言われて思い出す。
中学、高校へは、朝の何時に起きて通っていただろうか。
毎日通った最寄り駅までは、何分だっただろうか。
遅刻しまいと何度も繰り返した時間計算の数値は、ほんの少しの年月で忘れてしまうのだ。
授業の内容、担任、よく遊んだ友人、教室の位置、出かけた思い出、大会の結果
履修した科目、ちょっとした小話
確かに自分の中にあったはずなのに、何もないところから思い出すのは至難の技だ。
さらに、当時の感情を思い出そうとなると、これまた不可能に近い。
どうしても、今の自分の考え方が出てきたり、その出来事を思い出としてだけ捉えてしまうのだ。
ああ、どうにかしてひっかかる言葉があれば…
そしてノートを開いてみる
ううぬ、やはり、どう書こうか・・・
やはり書くなら文章が良い。
でも、あまり書く気にならないのである。
かといって、せっかく書くなら毎日続けたいと思ってしまう
・・・たいしたこともなかったし、(このたいしたことないことを残したいと始めたつもりが)今日は浮かばないから、明日から書こう。
そうして気後れして、ノートを静かに閉じてしまう・・・
そんな周期にうんざりしていた頃だった。
きっかけは忘れたが、スマホでアプリを知った。
アプリの名称は書けないが、とりあえず、日記をつけることができるアプリ。
普段から私はスケジュールを携帯で管理するタイプである。(そんなにマメではないのだが)
どうして今まで気づかなかったのだろう。
日記は紙に書くものだという固定概念が絡まっていたようだった。
早速インストール。
そして、ああがんばれそうだと思えるようなシンプルな内容。
10年間書き続けられるもので、去年の内容が上に来るようになる。
この内容を未来の自分もみることになると思うと、書いていてワクワクする。
何より、どこでもかける気楽さが良い。
毎日夜に通知が来るように設定してあるので、あまり忘れることもない。
さらに、写真を載せられるというのも素敵な点である。
心がけていることは、無理に書こうとしない、ということ。
波がある性格なので、やる気が出ない時は全く出ない。
そんな時の日記は、単語の羅列になっている。(4単語くらい)
また、忘れてしまうことや開きたくない時もあるので、その時は放置。
そして、気が向いたときに開き、予定表やSNS、写真などを見て何があったかを記す。(その場合は「後記 2017.○.○」と日付を書くことにしている)
なんと、この日記帳はPDFにして印刷をすることができるので、私は一ヶ月に一度整理をして、印刷、ファイリングしている。
ときには、宛メにかいた文章をそのまま載せている。
この時こう考えていたんだと、後になって見ることができるのは、やはり面白いものだ。
このように始めた日記、2017年3月から今まで続いている。「1日寝ていた」などの記録ももちろんあるが、毎日埋まっているのである。
三日坊主の私からは考えられない進歩である。
なんでもない日々は、決して当たり前ではないのだ。
もちろん辛いことやしんどいこと、どうしようもない思いも募る。
でも、そう思うのはやはり「今の私」だからこそだったりする。
何も書けない日だって当然のようにある
でも、「何も書けない日があった」ということは、少し状況が変われば忘れてしまうことだったりする(覚えておく必要もないので)。
毎日に、印を。
自分だけの「何でもない日々」の記録を、どうか残せたらと。
この宛メに書いた文章を、今日の欄に記そう。
一周まわって1年後、こんなことも書いていたなあと笑えたらいいな
*皆さんは日々を記していますか?
何かのきっかけになれば、幸いです。