死んじゃおうとするひとの小瓶、拾ってもなんて返事をすればいいかわからないよ
ごめんなさい
拾って、心を痛めてます
私は、
生きるのって面倒だ
明日から私はいなかったことにしてほしい
もう何にも知らない
こんな生産性のない毎日、生きる価値もない
自分はこの世のゴミだ
誰も大切にしてくれない
誰かこのゴミを愛してほしい
って昨日思っても、やっぱり今日は、
焼きたての安いお餅が、実はじっくり焼くとすごくおいしいとか
悲しい苦しい気持ちで起きた日の朝日が驚く程に綺麗だとか
たまたま入った古着屋さんで1目で気に入った服が買えたとか
大切な人たちの笑顔が信じられないほど輝かしくて美しくて、それを写真に収めた時とか
そんなことでまた歩き出すことがある
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
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ひろってはみたものの
困る小瓶も、ありますよね。
自分には、かえせなかったけど
別のどこかで誰かに読まれるでしょうし
言い言葉もってる人に届けーって
また流します。
おもち。おいしいですよね。
ななしさん
うん。わかる。
そして、あまりにも多すぎて
どうにもしてあげれなく感じてしまう
(そもそも、本人にしか、どうにもできない事だから)
気持ちが変わってくれたらいいのにな
と思いながら、いつも、そっと小瓶を閉じる。
他の小瓶のお返事にも書いたけど
そういう小瓶に
せめてもの「hug」ボタンがあればいいな、って思う。
人は何のため生きてるの?
って質問が良くありますね
あなたが言われるような事だとおもう
些細な事で「やったー 嬉しい!」と自分の中で喜ぶ。
そんな事がたびたびある。
その都度、生きる喜びを感じているんでしょうね。
みんな、主さんのように小さな、気持ちがフッと軽くなるような出来事は日々起こってると思うんです。
ちょっと口角が上がって、眉が下がるような、小さな出来事。それを捕まえられるか、なんだと思う。
ちいさくても本当はみんな出来ている、満たしているものがあると思う。
自分はこうでなければダメなんだという高い高い理想を掲げてダメ出ししている気がする。
自信がないっていうのは、ある基準にこだわって、ダメって言ってるようなもんだと思う。それは自分以外の人がその人に押し付けた基準をうっかり自分の中に取り込んでしまったのではないかと思う。生まれた時からこうでなければダメだって決めた人はいないのだから。
そのこだわりを変えていくのがもしかしたら生きて行く意味なんじゃないかと思うことがある。
ゴミなんて無いんだと思うよ。生産しなければ生きる価値が無いって誰かが言って、受け取ってしまったらそれがその人の価値になってしまうのは、寂しい。心底、勝手に、寂しく思う。
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