家族にも友達にも話せないまま、宙ぶらりんで苦しみ検索している中こちらに辿り着きました。読まれた方を不快にさせるかもしれない。それでも一人で書きなぐってもどうにもできず、誰かに聞いてほしくて流させていただきます。
ここ一月ほど強い希死念慮に捕らわれ凄く苦しいです。元より死への願望はありつつも折り合いをつけて生きてきましたが、その支えにしていた生き甲斐を自ら捨てた事が切欠で一気に駄目になりました。何故捨ててしまったのか。止めておけば良かったのに。そう何度も自分を責めては、既に取り戻せないものを悔やんでも仕方無い。前を向くしかない。などと自分に聞かせ。頭では理解しているのに心と体が動かない。朝目が覚めて夜眠るまでいつどのようにどう死のうかばかりが頭を占めてどうしようもないのです。切欠は切欠でしかなく、結局私は死にたいだけなのです。死にたい理由を自分で作ってしまっただけです。分かっています。だけれどどうしようもないのです。落ち着いたと思っても直ぐにまた自分の首を絞めたくなるのを止めたい。助けてほしい。楽になりたい。ならば死ぬしかない。そのループです。
疲れた。もう無理だ。けれどせめて妹達が卒業するまでは、家を出るまでは。せめてそうなる来年までは頑張って生きなければ。それだけでどうにか踏ん張っています。どうにか本当に、来年までは頑張りたいです。
書きながら、こうなって初めて泣くことができました。まだ辛いですが少しは楽になれた気がします。長々と失礼いたしました。そして読んでくださって、ありがとうございました。
ななしさん
まず、少なくとも僕はこれを読みました。あなたの苦しみや悲しみを聞きました。誰にも言えなかっただろう事を、少なくとも聞き届けた人間がいます。その事がわずか、本当にわずかでもあなたの心の救いになっていたらいいと思います。
このままですと、心のほうが先に限界を迎えて死んでしまうのではないかな、と思いました。とても失礼かも知れませんが、私はこれを読んで「頑張りたい」の裏に「もう頑張りたくない」という悲鳴が聞こえたように思います。
僕はあなたに死んで欲しくないな、と思ってしまったので、無礼と無責任を承知で申し上げます。どうにか、死ぬ以外で、本当の意味であなたに楽になって頂きたいです。
「希死念慮」という言葉が出た事から、日頃から色々お調べになっているな、そして相応に追い詰められているな、と感じました。
文を見るに、ひどく頑張って頑張って、痛くても苦しくても泣き叫びたいのを無理に堪えて生きてこられた方なのではないか、と思います(往々にしてそういう頑張り屋ほどそれを否定しますが)。
いつも「誰かのため」に自分を使ってきた人ではないかな、ともお見受けしました。あなたにもあなたの人生と権利があるはずです。
僕はどうもあなたに肩入れしてしまったので、あなたに死んで欲しくないのです。僕の勝手ですみません。
で、お願いします。心療内科やカウンセリングの力を借りてください。金銭的負担や抵抗があるかも知れないですが、今はとにかく、そういうものの力を借りてください。でないと、あなたはその来年までも生きていられるか正直心配です。
それが無理ならせめて死ぬ前に周りの人でも道行く知らないばあさんでも猫でもいいから、助けてって言って泣き付いてください。家族にも誰にも言えなかったんだから、死ぬ前くらい泣いたっていいじゃないですか。もしかしたら誰か本当に助けてくれるかも知れないし。
最悪誰もいないとこでもいいです。大声で泣いてさえくれたら、もしかしたらすげー天文学的確率で近くを歩いていた僕が気付いて駆けつけるかも知れません。