モンスター
「あいつは頭の単純な、血も涙もないモンスターじゃなかった
本当はまっとうな人間だったはずなのに、どこかですっかり狂っちまったんだ。
ほとんどはあいつの自業自得だった。
それは認めるよ。
でも全部が全部あいつのせいじゃなかった。
そんなこともあるものか。」
健常者
精神障害疾患者
身体障害疾患者
劣悪な環境で育った者
裕福な環境で育った者
その違いは何処に?
その違いは何処から来るのか?
自分がその立場や環境、境遇、症状に陥らないとその背負った負や苦なんか解らない。
何故ならば、その目に映る景色や風景や色が違う。
感じ取り受ける感情や苦痛が違う。
そして俺は何者なのか?
心療内科には通院しているが診断されている症状を溢れている情報から重ね併せたり置き換えてみる
でも何かが違う
俺の抱える症状は軽い、ただ軽いだけなのか?
それとも違うのか?
ならば、不意に襲われる悲しみ、涙、傷み、たまに襲われる希死念慮は何処から来るのか?
解らない。
それでも俺は知りたい。
人の傷みは知ってる筈なのに感情が制御出来ない、負の感情を飼い慣らすことや折り合いを着ける事が出来ない。
俺の忌み嫌う者達と同じ様に追行動を取ってしまう。
何故?
そして、このやり場の無い感情を如何したら良いの?
俺は知りたい。
ななしさん
例えばだけれども、一人でいる方が気楽で一人でいないと自分を保てないような人というのは半分は本当にそうであって残りの半分は勝手に本人と、もっと言えば周りが勝手に決めつけ、その結果として本人がそう決めつけたもの、という見方がある。
人の傷みを知っている人は、本当に傷みが分かるからこそ、人に優しくもなれるし、時には自分が傷つくのではないか?と不安になり人を遠ざけることもあるよ。
つまり、行き場のない感情とは時間が経てば解決するという簡単な話では無いし、行き場のない感情とは一人で解決出来るものでは無いという。
一人で解決出来るなら悩まないだろうに。
現に疑問符が頭の中から離れてくれないのは、きっと人と関わる事から学べということであると考えられる。
ずっと人間関係はいつだって波乱万丈みたいなものであった自分からすると、楽しいときは一瞬で、あとは人間関係が第三者が狂わせ上手くいかなくなったりとか…そんなものばかりであった。いっとき本気で誰とも喋りたくなくなり、誰とも話したくなくなり、もう友達なんかいらないと思っていたけど、やはり人との関わりなくして人は学べないし、楽しさも知らずに歳だけくうんだな…と思ったら急に人肌恋しくなった。勿論誰でもいいというわけではない。
ただ、今の自分がいくら悟りを開こうが何であれ、今いる人を大切にしなきゃ、きっと一生後悔するかなと直感で感じただけなんだ。
人間関係を置き去りにしてきて連絡もせずに時間だけが過ぎていき、今ごろあの人達は何をしているんだろうなーというような自分だけが物思いにふけているだけの日々は嫌だし、そんな自分に飽きた。
「みんなでいるの嫌いじゃないよ」っていうスタンス保って、でもだからってみんなで会おうよ!と働きかけない人間には誰も集まってはくれないんだろうなって、今なら分かる。
常に常に受動的で、喋れば喋りますよ、誘われたら行きますよってそんなんじゃ人なんて離れちゃうんだよね。
もっと大切にすべきだったな。