烏羽
楽しみながら迷うも、苦しみながら惑うも、それぞれだろうな。
逃げ場がある中、切羽詰まった状態でどうしようもない時、立ち向かいたくないなら俺は逃げる。
立ち向かって見たい気持ちがあって、大丈夫そうなら、何か踏ん切りや覚悟が出来たなら、出来るなら、やってみる。
得られる可能性はあると思うけど、何が得られるか、何を得たと出来るのか、それはわからん。
選択肢が増えすぎた時はまとめる事もあるかな。
これとこれは出来る事が重なっているから、一つにまとめられるとか、簡単な事だから一遍に出来そうだ、とか。
まあ、増えすぎた選択肢に困った時の対策というのも、数は少ないがそれなりには培ってきたかもしれん。
そうだな、読んでて俺もそう思った。
自分の内側が主軸の話なら、選択肢を増やすのは戦略でもあり、自分とそれぞれのやり方で向き合う経験でもあると思う。
でも、その辛い思いは本当に味わわなくてはいけないものなのだろうか?
味わった方が、あるいは味わってまで、先に役立つものとなるのだろうか?役立てたいのだろうか?
戦いたいのだろうか、逃げたいのだろうか。
他に、避けながらも立ち向かう方法はないのだろうか?
何と向き合うのかにもよるかとは思うがね。
何故に向き合おうとするのか、時に自分に問う事がある。
自分が本心から求めようとしているのは何なのか、とね。
それによって出た答えから、決める事もある。