烏羽
負の思いが自分を戒めの如く縛り付ける。
それも選択といえば選択の内。
しかしどうだ、縛り付けられた思考というものは。
苦しみだ。
何のために縛り付ける?
ただ自分を縛り付けても苦しいだけだ。
何の意味があろう。
苦しむためか。罰のためか。
違うな。
本来なら、自分がそうしたいからだ。
そうする事によって、過去の出来なかった、上手くいかなかった事を、上手く出来るようにしよう、と、そういった心掛けからくるものの筈だ。
なあ、小瓶主さん。
あんたは、苦しみながら、生きながらえたいかい?
苦しみながら死にたいかい?
どちらも苦しみだ。
あんたは、本当に苦しみたいのか?
…それは、本当に、望んだものなのか?
気付いた時から選択肢は増えるものだ。
過去を悔いても、今増えた選択肢を送りつけてやる事など出来ん。
今増えた選択肢が存在しなかった事を、過去の責任には出来ん。
責任がどうとか、出来るのは精々、今の自分が変わる事、心掛ける事だけさ。
人の死、人の死、人の死…。
当たり前のように生きていた人が死に、当たり前じゃない事を知る。
自分の生命さえもそうなのだと、解る。
死後の世界なぞわからんよな。
天国か地獄か、虚空が広がるばかりか。
だが、生きている中で、生きてきた事なら解るだろう。
生きている中で、ほんのこれっぽっちも、一つさえも、幸せを感じた事はなかったのだろうか。
幸せや居心地の良さというものがなければ、苦しい、という概念を知る事もあるまい。
…小瓶主さんは、苦しみながら、死んだように生きていたいと思うか?
死にたいという思いを、俺は悪いとは思わん。
それは主さんの意思だ。俺がどうこう言えるものでもない。
だが、本当にそのどちらかを望んでいたのか?
それが選び取りたい選択肢なのだろうか?
主さんがどうなのかはわからんがね、俺は違ったよ。
苦しくて死にたい気持ちもあった。
苦しみから逃げたい気持ちもあった。
だが結局、自分で自殺未遂に至って、それも苦しかった。
自分で命を断てる程に勇敢でもなかった。体の必死の抵抗に勝てる程に、心が強くもなかった。
それを何度も責めた事もあったさ。警察を呼ばれて止められた事もあったさ。
けどまあ、そうだ。俺も体の一部だ。
生きたい思いが、ない訳でもなかったんだろうな。
今はそこまででもないが、自分を傷付けながら、死にたい思いを抱えながら、それなりに生きてもきたさ。
主さんと俺とじゃ、そりゃ程度も状況も違うだろう。
主さんとどっちが苦しいだとか、俺も我慢してきたとか、そんな話は知らんし、するつもりもないがね。
別に生きてたって、必ず苦しみが、少しでも楽になるとは限らん。
それは死んだとしても、同じ事だ。今解らないものはどうやったって解らん。
勿論、状況が良くならないとも限らん。
ただ何か変わるとすれば、それは自分自身がそこに生きているからだ。
もしかすると苦しみを和らげたり、心を落ち着ける瞬間だったりがあるかもしれない。
悩みから距離をとったり、どうにか気持ちに整理をつけていける事もあるかもしれない。
俺で言えば、自分の事を殺したい程…というか、実際に殺しかけてるんだが、嫌いで憎かった。
それでも自分と、それなりに向き合って、一つ一つ和解してきたというか、少しでも失敗をフォローしたり、気持ちの整理を付けたり、上手く出来るための方法を考えたり、少しずつ学んできたりしたって感じかな。
今でも、失敗続きではあるが。
死後も、意識とでも呼べるものがあるとするなら、死した人間に、行動できる体はない。そういう意味での変化は、ないのかもしれんと思うよ。
まあ、生への思いを断ち切ろうと出来るように、死に向かう思いへの決別を、俺はそういった理由で、それなりには済ませたのさ。
他の理由やらもあるっちゃあるし、完全に決別したかというとそうでもないがね。
先には、楽しい事もあるかもしれんが、辛い事もあるかもしれん。
苦しみに耐えられないというのなら、死にたいにしろ生きたいにしろ、どの道、覚悟や決意のようなものが、あると良いのかもな。
気休めかもしれんが、そういうのがほんの少しでも、苦しみに耐えたり、気の持ちようを維持する支えになって、比較的気が楽になっているのかもしれん。
聞いちゃいないだろうがね、俺自身も、小瓶主さんのような、そんな選択を過去に抱いた事があったんだ。
今では、どっちも選ばない、と答えるね。
自分への罰だと思って、それなりに気が晴れるならまだ良いが、ただ苦しいだけの時間を味わいたくもないからな。