生きるって、それだけで修行なんだなぁ。
いや、むしろ生きること=修行なのか。
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ななしさん
そうですね。
人それぞれ人生に与えられた課題をクリアしなきゃいけないんでしょうね。
ななしさん
だったら良いのになと思います。
ななしさん
少し違うかも。
何が自分にとっての幸せか、そのためにはどうしたらいいか。
人の痛みを知るために自分が痛みを知ることも、休むことやゆるゆるすることを覚えることも。
自分が成長できる全てのこと、生きることで経験する全てのこと、それがみんな修行かと。
アクセルとブレーキ同時に踏んでる状態から自分が良ければいいかってなる。
これもひとつの成長でありそうなるまでの過程が修行になるかと。
わからんなぁ〜
あたしも前は、そう思ってたけど
今は、ちょっと変わって来たなぁ。
修行ってことは
何かが足りないから
補うって感じがわたしはあって、
頑張るのはやめよーぜ、といいつつ
成長することがいいことだ、
克服することがいいことだ、が
何がおかしいのかがわからなくって
俗に言う、アクセルとブレーキ、
同時に踏んでいた状態でした。
まー、これは修行、と言う
単語に対しての
「わたしの」価値観だから、
それぞれ、違うんだろうなぁとは思っています。
自分が良ければなんでもええか?とも
思います。
ななしさん
凄い名言を見つけてしまった…。
その発想は無かった。
ななしさん
その通りだと思います。
そもそも生まれてきたくて生まれてきた命はひとつもありませんからね。子供が欲しいという気持ち、妊娠して結婚に持ち込みたい思惑、避妊の失敗、事情は違いますが全ての命は強制的に「生まれさせられる」。
それで年齢を重ねるごとに勝手に社会的な義務や責任が追加されていくのです。
なんで勝手なこと!
だからこそ、人は幸せになりたいのかもしれませんね。望まない修行なら、せめて少しは楽しめた方がいいもの。
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