疲れました。何も希望は見えません。一日一日人のために生きているだけ。死ぬことすら許されず今日まで来ました。そうあの日から。みんな去っていき、今は一人ぼっちになりました。親とも絶縁。神様がいると考えて聖書も手にしました。でも、イエスは傍にいません。今は、ただ独りで、疲れの中で、苦しみ続けています。全て私が原因なのでしょうか。周りの人の幸せを奪ってしまいました。ごめんなさい。周りの人が私の幸せを奪っていきます。みんな幸せになっていく分、私は不幸になります。家族も私とともに不幸になっていきます。全てを捨てて、私が死ねば解決する問題なのだと思います。しかし、死んで残るのは、私がやらなければならないこと。これを家族に委ねるのはひどすぎる。といって、生きて生き続けても同じ事。真綿に首がしめられる。お願いが叶うならば、もう一度5年前の私にアドバイスするか、私を殺してください。この疲れの中で、もう歩けません。
ななしさん
神を信じた事はありませんが、同じような気持ちになった事があります。
自分はずっと助からない犯罪に遭っていて、自分が生きている事が一番のターゲットでいる事が何も知らない家族を犯罪から守る事だと信じ、何があろうと例えどんな酷い目に遭わされようと生きている事が家族の為になると、家族を守りたい一心で無理矢理生きてきました。
そんな家族は自分を必要としていません。生きている家族は自分を嫌い憎み、死んでくれたら良いと思っていると思います。
家族は一切悪くありません。私もです。
何も知らない家族を思うと、本当にずっと可哀想で仕方ありませんでした。
犯罪の悪意の大群に飲み込まれた私と家族は被害者です。
「周りの人が私の幸せを奪っていきます。みんな幸せになっていく分、私は不幸になります。家族も私とともに不幸になっていきます。」
その言葉に自分の犯罪に奪われたどうしようもできなかった時間と人生を思いました。
私も疲れ生きる気力もありません。何も希望は見えませんし、ありません。同じです。
自分に対する犯罪を犯す犯罪者達が犯罪者を捕まえる立場なら助かりません。
誰しも当たり前のように犯罪に遭えば頼れる場所は自分にはありません。
この気持ちは叫びは言葉になりません。
お互いに生きる希望とその道が見つかりますように。生きて幸せになれますように。
五年前よりも5年先の将来の自分に願ってください。将来があるのは生きる道が残されている人達だけです。将来と言えたり、将来がある事は希望であり、幸せですよ。
神の存在を信じる貴方に神から救いがありますように。