別に、人生が楽しくない訳ではない。
やりたい事は沢山ある。
本を読む。
アニメを見る。
MMDで遊ぶ。
友達と出かける。
一人で旅行に行く。
これからやりたい事は沢山たくさんある。
なんなら約束だってした。
でも、それでも、それを投げ出してもいいかもしれないとふと思う。
すべて投げ出して、死んでしまってもいいかもしれないと。
これからが楽しみではないわけじゃない。
むしろ楽しみで仕方がない。
でも、それらと死ぬ事を天秤に掛けた時、どうしようもなく死ぬ事の方に傾いてしまう。
楽しみだけど、まあどうでもいいかなと思ってしまう。
だって、死んだら何も無くなる。
好きな事に対する楽しみも、まだ知らない事に対する興味も、死んだ事で見れなくなった物語の結末への後悔も、悲しむ(かどうかはわからないが)私の周りの人たちの顔も、それを見た事で生まれる罪悪感も。
何も感じなくて済む。
とても楽だ。
何かやりたい事を見つければ、死にたいなんて考えなくなると人はよく言う。
とすると、私がいま思っているこれらは、本当に私のやりたい事ではないのだろうか。
本が好きで、アニメが好き。動画を作ってみたくて、京都に行きたい。友達と思いっきりはしゃぎたい。
好きなはずなのに、とてもやりたいと思っているはずなのに、これは本物では無いのだろうか。
そんな事言わないでほしいと思っている反面、理屈は通っているなと納得できてしまう。
だって投げ出してしまえるという事は、それだけ熱意がないという事だろう。
全部どうでもいいんだろう。
それよりもまず死にたいんだ。
なんだか長くなってしまった。
言い分もごちゃごちゃだ。
兎に角、いまは天秤の均衡を必死に保ってる。
そんな感じ。